娘の運動会
娘の小学校で運動会があった。自分の勤務校の運動会と重なったため、残念ながら見に行くことはできなかった。 当日は、主人、両祖母に応援を頼んだ。娘に行けないことを話したときは、かなりがっかりされた。 私の勤務校には、ほかにも自分の子どもの運動会に出られない先生が数名おり、出勤するとお弁当の話で盛り上がった。 無事、運動会が終わり帰宅すると、娘の運動会のビデオ上映会となった。「なんてありがたい時代になったことか」と文明の利器に感謝したのだった。ビデオなど普及していない時代は、我が子の運動会の様子を6年間見られない先生もいたことだろう。 中学校の恩師であり、現在の娘の担任の先生からは「運動会をみられないのは、先生の宿命だから」と言われた。子どもができるまでは「仕方ない」と割り切っていたが、実際その立場になってみると、つらかった。 今は、6年のうち一度くらい、保護者として参加できたらいいなと思っている。
(美和のプーさん)
私が不登校になってしまいそう…
本校(極小規模校)に勤務して、2年目になりました。最近少し憂鬱です。養護教諭という立場なのに、毎日怒ってばかりいる気がします。 子どもたちは、給食指導、清掃時間、そのほかの時間にもマナーやルールが守れず、目に付くことが山ほどあります。ほかの先生も指導してくださっているのですがイマイチで…。やさしい言い方なのはいいのですが、たまにはガツンと言ってくださる先生がいてほしいのに…。 誰も言わないから、ついつい私が口を出してしまい、子どもたちからは「うるさいばばあだな」と思われていると思います。子どもたちもあまり本気で聞いていないのか、私の指導の仕方がわるいのか、無視したり、ふてくされたりといった感じになってしまいます。 私は、こんなふうな毎日を過ごすことに、少し疲れています。今日も、朝から5年生の男の子に無視される有様。悲しくなってしまいました。私が不登校になってしまいそう…。
(びわわ)
同性の先輩として
2年生の先生から「宿泊学習前に女子の指導をお願いしたい」と依頼がありました。泊まりを伴う行事があるときは、お約束のように「女子の指導を…」との依頼があります。 ええ、分かっていますよ。トイレの使い方や生理中の生徒への指導でしょ。内心「何も今しなくても、普段指導しているはずでしょ」とうんざりしながらも、気づかないフリをして「え〜っと、女子の指導って?」とあえて聞きました。すると、予想通りの答えが返ってきたので「トイレの使い方と生理中の生徒への注意事項ね」と確認すると、「先生が普段感じていることもいろいろ…」と言われました。「じゃあ、女性もしっかり自立せよ、なんて話になるよ」と、冗談めかしてチラリと本音をみせたら「いいですね。お願いします」とのこと。 ならば、言いたいことはいくらでもありますよ。課題を書き出しているうちに「養護教諭と生徒」というより、「同性の先輩」として話したいと思うようになりました。そして「ステキなあなたのエチケット講座」と題して、トイレの使い方だけでなく、言葉遣いや食事の仕方にも触れました。 自分の意識が「先輩」なので、目の前に座っている生徒たちは、ず〜っと後ろを頼りなげに歩いている「かわいい後輩」に見えます。
(イベリコ・豚ちゃん)
「遊んでいて、いいねぇ」
校長先生から「あんたは子どもと遊んでいて、いいねぇ」と言われたことがある。口の端から出かかった言葉をようやく押し込めて「遊んでいて、どーもすいません!」と、お茶を濁した。 私は、保健室に子どもが来ない昼休みを見計らって、努めて運動場に出るようにしている。たいていは低学年の子どもたちとジャングルジムやタイヤ跳び、総合遊具での遊びに興じ、高学年とは長縄やドッジボールといった具合である。これらの遊びを通して、私は多くのことを学んだ。@体験を共有することは信頼関係を築くA子どもたちの素顔を見たり、人間関係を知るよい機会であるB学年や発達の段階に応じて、遊びや使用する遊具が変わるC遊具施設の安全管理に役立つ 総合遊具で2年生と遊んでいたときのこと、子どもたちが遊具のコンクリート面を覆うロープがすり切れているのを知らせてくれた。すぐに調べてみると、数カ所に同じようなところが認められた。校長先生と教頭先生に申し出て予算がつき、改修してもらった。これこそ、生きた安全管理ではないだろうか。 子どもの行動範囲は運動場のあらゆるところである。ほかにも危険な場所を見つけて、これも管理職にすぐ報告をした。 子どもたちの間でケンカがあったときは、すぐには制止しないで、しばらく成り行きを見守る。私は支援という形のかかわりにとどまる。 心温まるエピソードをひとつ紹介しよう。昼休みに、体育館で高学年の子どもたちとドッジボールをしていた。内野でボールに当てられた私は外野に歩いていった。すると、○○君が近づいてきて、「先生に当てたボールはゆるくしといたからね」そう言って走っていった。そうか、確かにボールはゆるかった。動作の鈍い私への精いっぱいの優しさ…。子どもの心の機微にも触れる貴重な時間だ。
(茶蓮ジャー)
養護教諭に大切なもの
養護教諭に大切なものは、養護教諭自身が前向きに生きることだと思う。若い頃は生徒を受け入れる余裕もなく、健診をスムーズにすすめるために生徒を叱り、休みたいと言って居直る常連の生徒を追い出し、不登校の生徒にどう接してよいか戸惑い、保健部長とは意見が合わず、悔し涙を流し、先輩諸姉からは、年をとればあなたの意見が通る日が来ると言われ、それでも、毎日何を勉強すればいいのか分からず、ただただ毎日の保健業務に追い回されて1日が過ぎた。 30代後半から、誰に何と言われようと、生徒の立場に立ち、健診もスムーズに行なえるように、毎年ああでもない、こうでもないと改良を重ね、職員会議で物申しても、「ご納得」頂けるだけの弁も立ち、来室した生徒が精神的に悩んでいるかどうかも見分けられるようになり、「私でよかったら相談にのってもよい?」と言えるようになり、どなたが保健部長になっても、まずまずの対応が出来るだけの術を知り、担任や、顧問や、管理職とも臆することなく話ができ、決して養護教諭だからなどと卑下することはなく(最初からしていなかったが)、しっかりはっきり自分の考えが言えるようになった。 40代はおもしろいように、保健室経営を革新した。自分の考えをまとめて雑誌に発表したり、学会に参加できるような家庭環境になった。 人生にはそれぞれの年代にしなければならない事がある。結婚すれば、出産もあり、出産すれば子育てもある。何かをするにはどれかを犠牲にしなければならない時もあった。 自分流の世渡りがいつの間にかできあがっていた。優先順位がきちんと決められていたからだろう。それでも人間関係で悩む日々はある。人が二人以上いる限り、人間関係の悩みはついてまわる。世の中にはどうしても分かり合えない相手もある。分かってもらえない人には、事実、真実など、伝えなければならないことを、ニコニコ(できなければ、淡々)と伝えるだけにした。 50代、大事故以外、何も怖いものはない。…といったら嘘になるかも知れないが、知らないことを知らないと言い、できないことをできないと言えるようになってきた(何でも引き受けてしまう性格だが)。 何も偉そうにする必要はないが、自分に自信をもって仕事をする努力はしたと思っている。断れない性格が災い(幸い?)して、いろんな役をもらい、いろんな方々と出会わせてもらえ、自分を高めていけたと思っている。 そろそろ養護教諭の総決算の時である。どんな決算報告ができるのか自分でも楽しみである。
(こまくさ)
先生たちの憂うつ
最近、周りに心を病んでいる先生が何人もいることに、とても心が痛みます。特別休暇をもらって長期療養をしている先生、学校には言えないけれど、心療内科に通っている先生、退職しなければならなくなった先生…。 私にできることは、保健室で相談にのったり、長電話をしたり、そんなことくらいです。わがままで、衝動的、集団行動がとれない子どもたちや過敏な保護者に振り回され、苦しんでいる先生方をどうしたら救えるのでしょうか。 ある時、先輩の先生がこんなことをおっしゃいました。 「地球には、人間だけがいるんじゃないよ。花や虫などを含む自然の中で人間は生きているんだよ。だからもっと、人間以外に目を向けるといいよ…」 お散歩、ガーデニング、山登り…。その先生は自然と話をするのが大好きなのだそうです。私も忘れかけていた「人間は自然の一部」ということを改めて感じさせてくれました。 まだまだ未熟で何もできない私ですが、先生方や子どもたちの心に温かく寄り添える、そんな養護教諭でいたいと思います。
(かりん)
花のある庭
私は、花を育てるのを楽しみにしています。庭にはところ狭しとたくさんの花が咲き乱れ、四季を彩っています。 その中でも、夏の月下美人は、たった一晩だけ、純白の花を開き、いい香りを漂わせてくれます。花が終わればみそ汁や酢の物になります。冬のクンシ蘭も朱色の花を咲かせ、1カ月以上、目を楽しませてくれます。 職場にいる間は神経を休める暇がありません。農家で育った私は、土いじりが大好きで、休みの天気のよい日は庭の土いじりで、時間が経つのも忘れてしまいます。 花を通じての友だちもできました。休みの日は仕事と違った世界に「チャンネル」を切り換えること。これがストレス発散の第一歩だと思います。
(M・S)
いつまでも大切にしたい友人
私には弱視の友人がいる。その友人のご主人は全盲で、二人で治療院を開業している。 その友人宅を訪問したときのことである。季節は夏、私の下の娘が1歳にもならない頃であった。何でも口に入れてしまう時期で、この日も窓際においてあった電気蚊取り器に興味を持ち、手にとろうとしていた。私は危ないと思い、何気なく子どもの手の届かない場所へ移動させた。子どもはまた違うものに興味を持ったので、そのまましばらく過ごした。 帰る頃、友人が電気蚊取り器を元の場所に戻しているのに気がついた。「同じ場所においておかないと、○○さん(ご主人さん)が、分からなくなっちゃうからさ」そう彼女は答えてくれた。目の不自由な人にとって、同じ場所にあるということが、いかに日常生活の中で大切かということを知るよい機会となったとともに、配慮のなかったことを恥ずかしく思った。とてもよい経験をさせてもらったと思っている。 この二人は、音楽を通して自分たちの世界を表現している。いつもパワーをもらうのは私のほうだ。私の普段の生活からは得られないものを、彼女とのかかわりによって与えられている。いつまでも大切にしたい友人である。
(美和のpoohさん)
「笑えるでしょう?」
「日曜日はこうでなくては」と言いたくなるほど本当にいいお天気。空はすいこまれそうな青。風はないし、澄んだ空気がさわやかだ。掃除も洗濯も、昨日のうちにやり終えている。さて、ゆっくりとブランチをとろう。 コーヒー通ではないけれど、時間と気持ちにゆとりがあるから、いつもより少し丁寧に入れたコーヒーは、まろやかでおいしい気がする。レタス、サニーレタス、水菜、キュウリ、赤パプリカのミックスにクルトンをのせたグリーンサラダと、ごま風味ドレッシングの組み合わせは大好物。 トーストは厚切りにしよう。同僚がおすそ分けしてくれた手作りのマーマレードジャムがある。ほどよい苦みがおいしくて、病みつきになる。 ボリュームをおさえたお気に入りのCDに耳を傾けながら、午後の予定を決めよう。昨日、図書館で借りた本を読むことにしようか? それとも食料の買い出しに行こうか? ラジオ講座のテキストの復習もしなくては…。 まあ、そんなにあわてることもない。ブランチを食べ終わったあと、一番最初に頭に浮かんだことをしよう。ずっと忙しかった自分への、ご褒美のようないい日曜日になりそうだ。
(フルーツグラノーラ)
おもらしの世話は養護教諭?
小学校に勤務して5年になります。中学生と違って小学生は、年中、おもらしがあるので、保健室には着替え、簡易シャワーを備えています。このおもらし、私は担任も一緒に世話をするものと思っていました。しかし、担任に言われて、もらした児童が一人で保健室に来るのです。着替えの体操服を持たせていない場合も多く、あわてて教室に取りに戻ることも、たびたびです。 手がはなせない授業中なら仕方がないのですが、時間があるときでさえ、世話はこちら任せです。 下の世話だけでなく、教室などで嘔吐したとき、片づけのために、私をほかの子どもに呼びに来させることもあります。嘔吐した子が、汚れたままの服で保健室に来ることも。 感染予防のために、排便や嘔吐などの保健指導をして、教室には嘔吐片付けセットも用意しています。ウイルス性胃腸炎などに備え、職員向けに何度も片づけの注意事項も知らせています。嘔吐後の消毒は養護教諭が担当していますが、それ以外はできるだけ、担任も子どもの世話をしてほしいのです。 汚いものの世話は、養護教諭の仕事だと思っているのかも知れませんが、まず担任ができることを、すばやくしてあげることが第一だと思います。そういうときこそ、子どもとの信頼関係が築かれるのではないでしょうか? 昨年から本校は複数配置になり、余計にこちら任せになっているようですが、来室者も多く、とても忙しいのです。 担任に言うことができないまま、保健室は「なんでも屋」みたいな状況です。男性担任の場合、女子のおもらしの世話ができないなど、難しい面も理解していますが…。 みなさんはどのようにお考えでしょうか? また、どのようにされていますか?
(赤いスイートピー)
私の同僚で(私の親より年上の方です)、腹が立ったときなどに「笑えるでしょう〜」と言う人がいます。自分に起こった出来事を、まるで第3者の目で見たかのように、他人事として話し「くだらなくて笑えるよね〜」と、表現するのです。 おなじ腹が立っても「むかつく」というより「笑えるでしょう」と言って笑い飛ばすなんて、なんか素敵だなあと思います。 学校の子どもたちもですが、まわりの大人の間でも「むかつく」「最悪」「信じられない」なんて言葉はよく出てきます。第3者的立場から冷静に見ると大したことじゃなかったり、どうでもよかったりすることなのに…。 私も含めてですが、自分の思いと反するときに、簡単に「むかつく」「最悪」という言葉で、その気持ちを表現する人が多い気がします。これらの言葉は言った人も、聞いた人もいい気持はしませんよね。 言葉は魂を持っているといいますが、私もその同僚のように「むかつく」のかわりに「笑える〜」と言いたいなあと思いました。
(さくらな)
「休むと、喜ばれる先生」
「やったー!」 ○○先生が風邪でお休みと聞き、誰かが歓声を上げた。その誰かは子どもではない。れっきとした職員である。お休みした人の顔が瞬時に浮かぶ。ちょっと小気味よい。だって、保健室でも傍若無人に振る舞う人だから。その上、私のような一人職には冷たい人。そうか…よかった。「『感じ悪い!』と思っていたのは、私だけじゃないのね」と嬉しくなった。 「でも、あんたは他人を非難できる立場か?」と問うもう一人の私。「確かに職場を乱す人はどこでもいるよ。その人のおかげで、しなくてもいいイライラをさせられたり、精神的に参ってしまう人もいるかもしれないね。でもね、あんただって、そう思われているかもしれない。あんたは人に本当の心を見せないじゃないの。気味悪い人とか、思われているかもしれないよ」 「えっー、あたしが? 何で? あたしはいい人だよ。あの人みたいに人の悪口なんか言わないもの。あっ…。でも、これって悪口じゃないもん。ほんとのことだもの」 「そうかな? あんたはその人が羨ましいんじゃないの? 人に遠慮して言いたいことも言えないあんたと違って、思ったことを思った風に言っているように見える、あんたより若くてチャーミングなあの人がね」 私はだんだん分からなくなってしまった。 「やったー」の発言は、同僚の心底からの解放の言葉であって、容認されてしかるべきものだと思っている。でも、それを聞いて心地よい気持ちになった私は何者なのか。私はイライラしていた。激情をおさえるのに汲々としていた。他人と面と向かって争うことのできない私は、第三者の言動を待つしかない人なのか。 その人は今日で三日続けてお休み。誰も心配していない。突っ張って生きていくのも、案外しんどいかもしれないな。
(鉢かつぎ)
「大人の世界にもいじめは存在する」
先日、私の知人が退職しました。「家庭の事情」ということになっていますが、本当は「人間関係」が原因です。私は残念で残念で仕方がありません。とてもすばらしく指導力もあるベテランの先生でした。そんな先生をここまで追いつめてしまったものは何だったのでしょう。考えただけで辛くなります。 大人の世界にもいじめは存在する…。それは私自身経験したことがあるので、分かります。本当に死にたくなるほど辛いし、自分の存在価値が見えなくなることだってありました。「異動は『逃げ』ではなく、自分を生かせる場を求める手段」と言って潔く異動し、生き生きと働く先生方も多く、私も大変励まされました。 人間同士、合う合わないはあって当然です。だからといって嫌がらせをしていいわけではありません。プライベートで仲よくする必要はありませんが、仕事場…とりわけ、私たちのいる「学校」は子どもたちを取り巻く「環境」そのものです。大人の人間関係のひずみは、かならず子どもに返ります。
(クロッカス)
「本当にうっかり?」
全体研修があるとき、研修の中で必ず1回は発言をするように努力してきました。教職員は管理職や外部講師から、積極的な発言を促されていたからです。しかし、全体研修の「全体」という言葉は、必要に応じて「養護教諭を例外とする」ことに気づかされることがしばしばあります。 全体研修の討議に参加しているときに、席順に指名していた研修部長が、なぜか私だけ外して、次を指名したことがありました。続けて2度もあったので、思い切って研修部長に問うと「あっ、うっかりしちゃった。ごめんね」と明るく笑って答えました。私とさほど年齢の変わらない方でしたが、その答えのあまりにもお粗末なことに呆れてしまいました。 また、職員室で机上に配布されるプリントが、私の机に見あたらないこともあります。研修部長に尋ねると、答えは決まって「あっ、うっかりしちゃった」。 養護教諭とはうっかりされる職員なのでしょうか。退職した養護教諭の大先輩の言葉を思い出しました。「職場でみんなに分けるお菓子が一つ足りないとき、私だけ『我慢してね』って、この年になっても言われるのよね…」と、深いため息を漏らしていましたっけ。
「私が養護教諭になったわけ」
私は、女性が生きていく上で、独身でも既婚者でも、仕事を持つことがあたりまえだと思っていました。だから、看護職という資格(職業)を選び、当然のように看護学校へ進学。そして病院実習が始まりました。 いろんな病棟を回り、小児病棟で実習を行なったとき、慢性疾患で長期入院している子どもが多いことに驚きました。「なぜもっと早期に発見できなかったの!」とその親や関係者に怒りさえ感じました。そして「私だったら何ができる?」と考えたときに、とっさに浮かんだのが「保健室の先生」でした。 「保健室の先生だったら、専門的に毎日子どもを見ているのだから、病気を発見できるはずだ!」 看護師になりたかった私は「病気にならない子どもを育てるほうが先決だ」と気づいたのです。もう30年以上前の私の決意…。毎年4月、新しい子どもたちと出会うたびに思い出しています。
(コンドル)
「悪いことずくめの人生はあり得ない」
養護教諭として初めて勤務した学校の校長先生について、心の底から「お会いできて本当によかった」と思っています。「一緒に仕事できた私は、なんて幸せ者だったのだろう。もし、お会いできてなかったら、自分はどんな人生を歩んでいただろう」そんなことさえ考えてしまうくらいです。 つらい出来事が重なったとき「誠意と熱意を失わず、努力を続ける限り、悪いことずくめの人生はあり得ない。降り止まない雨はないのだから」という言葉をかけてくださいました。 「降り止まない雨はない」…考えてみれば、この世の中、「いいことづくめ」も「悪いことづくめ」もあり得ないのですね。自分だけは大丈夫と思っていても、生きていく道中には、思わぬ事態が生じることが多々あるもの。しかし、その望まない状況が、実は幸せのきっかけになることも、少なくないのかもしれません。 相田みつおさんが「出会い そして感動 人間を動かし 人間を変えてゆくものは 難しい理論や理屈じゃないんだなぁ」と書かれていたことを思い出しました。本当に出会いが人間を変えていくこともあると実感しています。
(こたつ虫)
「何もうまくいかない日」
そう、あるんです。何もうまくいかない日が…。渦中の私は目をつむったまま、亀のように頭も手足も甲羅の中に引っ込めてジタバタせず、じっとして動かず、「上手くいかないもの」を棚上げします。名付けて「冬眠」。 よくしたもので、自分は何も動かなくても状況が少しずつ変わったり、あるいは冬眠中に少しだけ頭を働かせてその状況を整理することで、絶望的な中にも遠くのほうにかすかな光を感じることができるようになります。そうしたらそろりそろりと頭を出して、周りを見回し、大丈夫そうなら手足も出して深呼吸しながら「うまくいかなかったもの」を棚からおろし、気持ちを新たにして、再度取り組むのが私の対処の仕方です。
(レモンムース)
「心あたたまる声かけ」
四十肩の痛みに悩まされカイロプラクティックに通っています。先日、その先生がひと言、「よく、がんばっちゃいましたね」と言ってくださりました。その言葉がとても嬉しく、心に響き、「そういえば最近、人から褒められたことあったかしら…?」と、考えてしまいました。 そうそう、そう言えば、小学1年生のTちゃんの手当てをしてあげたとき、「先生、包帯巻くの上手だね!」と言われ、なんかあったかいものを感じたっけ…。 私は、注意や小言ばかり言っている気がする…。これではいけないと反省し、「どういう声かけをしたら、子どもたちの心が軽くなるかな」と考え、褒めたり、認めたりの声かけを心がけています。
(あったか)
「部会の役を引き受ける」
私の所属する部会で、部会の役を勧められた先生がいました。しかし、残念なことに彼女は役を断りました。その彼女の姿を見て、誰もが「損な人だ」と思いました。 私も(少し)若いころ、役を受けたことがありますが、役を通し、全国や県レベルでの養護教諭という組織が見えてきたり、中央研修に行くチャンスを頂いたり、仲間とのつながりがずいぶん広がりました。何よりも自分に自信がついたことが大きな収穫でした。 「役を受ける」ということは、大きな責任が伴いますが、それ以上の財産が身につく喜びを実感しました。自分の職業に対する前向きな姿勢って大切ですね。
「本当は叱ってほしい」
今でも忘れられない、そして今ではよい思い出となっている子どもたちとの出会いを紹介します。それは、以前勤務していた中学校のことで、授業をさぼってやって来る数名の男子生徒がいました。その男子が保健室に来るたびに「あぁ、また来た…」とブルーな気分。 保健室に来るときは教室で先生に怒られて、むしゃくしゃしているときが多く、保健室の机やゴミ箱を蹴ったり、注意すれば暴言を吐いたりで…。かといって、知らん顔をしていると「シカトかよ」の一言。 一人ひとりじっくりかかわれば、(きっと)とってもかわいいと思うのです。でも、集団になると手がつけられなくなるときもあり、朝、学校に着くと、自分の車から降りられなくなるほど、気分は落ち込んでいました。 しかし、3年生になると高校進学を意識しはじめたのか、K君以外は、授業に出るようになっていたのです。進学を考えていないK君は、授業に出ても面白くなく、保健室のソファに横になっているような日々でした。 冬の寒いある日、いつものようにK君は横になっていつの間にかスヤスヤと眠ってしまいました。私は、午後から研修に出かけなければならないので、そっと毛布を彼にかけて出かけました。次の日、彼の仲間の一人が「K君が、昨日保健の先生に毛布を掛けてもらったって言ってたよ」と聞きました。 彼はすごくうれしそうだったということでした。私がかけたことが分かっていたのかなと思うとうれしくなりました。 それからでしょうか、彼が私に心を開いて話し始めたのは。(それまでの道のりは長かった!)彼はこういいました。「先生たちは、俺が悪いことをしても本気で叱ってくれない。分かっているのに無視をする。本当は叱ってほしい…」と…。胸にズキッと突き刺さるものがありました。私もそうでした。 注意してもその分跳ね返ってくるのなら、かかわらないほうがいいと思っていました。でも、K君は誰かにかまってほしかったのでしょう。そんな彼の一面を見て、かわいらしく思えて仕方なくなりました。あのときはつらい毎日だったと思うのですが、彼らから大きなものを学んだように思います。
(ひまわり)
「まずは自分を大切に」
養護教諭は教科の先生に比べると、ずいぶん低く評価されています。本校は指折りの進学校で、勉学・進学に力を入れ、評価を受けるのは進路課の先生と、大学受験を目前にしている高三の担任だけです。どれだけ一生懸命生徒に対応しても、結果重視です。以前こういうことがありました。 喘息、過呼吸を持病とする生徒が、息苦しそうに担架で運ばれてきました。「ここでは応急処置できない」と、とっさに判断し、救急車を呼びました。到着した頃、発作はややおさまり、それでもまだ苦しそうでしたが、救急隊員の方が「病院に運んでもいいし、ここで様子を見てもいい。もしここで様子を見るのなら、誰かがつき添ってください」と言われました。命にかかわることがないことを確認し、私は後者を選択しました。 保護者が到着するまで、つきっきりでそばにいて、彼女を引き渡しました。その後、事務長に報告かたがた「ご心配をおかけし、申しわけありませんでした」と言うと、帰ってきた言葉は意外なものでした。 「次から気をつけな…」 「たいしたことなくて、何よりだったね」「大事にいたらず、良かったじゃないか」という言葉を期待していた私は甘かったようです。自分がバカだったことを思い知らされました。 「人の集まるところ、災いあり」という言葉は本当で、組織の中での人間関係にはつらいものがあります。事務室と保健室が近いということもあり、事務長にはいつも監視されているような気分になってきました。一のことを十にも二十にも言われ、校長や生徒のいる前で叱られるのは日常茶飯事です。その後、私は精神科を受診しました。 ある日、「ぎょうせい」から出版されている「教師のストレス総チェック」という本に目を通す機会がありました。その中のストレス対策として「相手がどういう人かを知らずに、不用意に近づくと思わぬストレスを背負うことになる。自分の苦手なタイプの人には、できるだけ近づかないのも懸命なストレス回避の一つだ」と書いてありました。私はそれに大いに納得し、実行に移すことにしました。 大人の世界にもこんなにいじめがあるのに、ましてや、子どもや生徒の間にいじめが生じるのは当たり前かなあと、痛感しています。 学校という組織の中で、苦悩されている養護教諭の方も多いとお察しいたします。まず、自分の心身共の健康に配慮し、あたたかく生徒たちを見守っていきたいと思っています。
(みかん)
「自分をイメージしながら」
現在育休中の養護教諭です。頭の中は「今日の離乳食は何にしようかな。今夜は寝てくれるかな」など、もっぱら育児のこと。現場を離れてゆったりと過ごしています。 一方で、仕事復帰後の自分をイメージして「大丈夫かな」という気持ちにもなります。「広場」で育児と仕事を両立されている先生の投稿を読めばなおさら…。勤務しているときは時間に追われ、「健」も一通り目を通す感じでしたが、今やくり返し熟読しています。 パソコンばかりで、漢字も忘れがちなので、気になるページをレポート用紙に書き留めています。新聞の記事やほかの本もノートにまとめたりしています。時間は限られわずかなものですが、充実した気持ちになります。
(パンちゃん)
「ハッとした瞬間」
子どもたちと接していると、ハッとしたり、ドキッとすることがたくさんあります。今回は2つの例を紹介します。◎保健室にて 保健室にずいぶん前から飾ってある植木を見て、小2のAちゃんとこんな会話になりました。Aちゃん「先生この花よく咲くね」。私「そうでしょう。愛情いっぱいに育ててるからね」Aちゃん「先生のお顔が見たいから咲くんだね」◎性教育の授業を担任と一緒にしていたとき私「精子はこんなに長い距離を一生懸命泳いで…」Bくん「先生〜! ぼく、そんなに一生懸命泳いだ記憶がないんだけど…」 * * * 子どもたちの感じ方は、私たち大人とはずいぶん違います。こんな言葉に「ハッ」とできる感性を持つことは大切だと思います。
(あったか?)
「死について考える」
生まれて半世紀も経つと、自分の親はもちろんのこと、身近な人の死に対峙することが増えてきます。そして死を通して、自分なりのこれからの生き方と、死の迎え方を考えることが多くなりました。 自分が若かった頃、子どもたちには命の誕生のすばらしさを“生”教育を通して、熱く語っていました。そんなときに、当時50代の先生から「なぜ生命の誕生ばかりをとりあげ、死をとりあげないの」と聞かれ、一瞬「えっ」と思ったことがありました。 その当時、死はとても遠い存在であり、考えることすらしませんでした。でも、自分も同じ年代になって、先が見え始めてきて、あのときの先生の疑問が分かりかけています。 子どもたちは、まだまだ先のことと思っているかもしれません。しかし、子が親を殺害したり、親の虐待で子が殺害される、または、とんでもない事件に巻き込まれて、あっけなく命を失ってしまう。そんな生命が軽んじられる事件が、最近は頻繁に起こります。 こんな時だからこそ、死に向き合うことの必要性を感じています。
(T.T)
小学校でかわいい子と過ごすのもいいかな
中学校の養護教諭になって14年。4年前に小学校へ異動し、2年間休職。昨年の秋に復帰しました。赴任当初、小学校は、なぜ分掌で動けないのか、主任とは名ばかり、実権は、管理職と教務の手の中にある…。納得できませんでした。今でもその気持ちは忘れてはいません。 中学校の方が、効率的、理想的だと思っています。でも、今の現実を一人で変えることはできません。割り切って、自分の仕事を進めていくだけです。 子どもたちとのかかわりも、相談活動から救急処置、保健指導がメインになりました。言葉が通じない小学生には、私にとって保健指導も試行錯誤の連続です。ただ、私が教員になって貫いてきた「優しく、厳しい先生」であることは変わりません。楽しくお話したり、優しく看病や手当てをしたり…。 時には、鬼ごっこやバレーボールをします。「先生、またしようね〜」と腕にしがみついてくるかわいい子どもたちです。 また、子どもが思いやりのない態度をとったとき、安全のための決まりを守らないときは、大声で叱ります。最近は、そんな声も学校では聞けなくなってしまいました。中学生を知っているからこそできる、小学校での教育をしたいと思っています。高学年は中学校へ行って、当たり前のことが当たり前にできる、そんな子どもにして送り出してやりたいです。 早く中学校へ帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、最近は、小学校で、かわいい低学年たちと過ごすのもいいなぁと思っています。
(まちこねえさん)
家庭内での教育は、どこへ…?
保護者から学校に対して他方面にわたる要望。その中には、まったく見当違いと思われるものが少なからずあります。最初のうちは小さな「学校へのお願い」だったはずのそれらは、いつの間にか「学校で当然の指導」の様にされてしまっています。 要望どおりにならないと学校の、というより担当教師の指導(力)不足として指摘されます。その一方で、保護者や子どもがなすべき義務(と私は思う)のあれもこれも知らん顔の「今どきの親」たちがいます。 家庭内で教育されるべきことをされないまま入学してきた子どもに、がっかりしたりため息をついたり腹を立てたりする暇があったら、少しずつでもそれを教えていく方が実際的だ、と理解しつつも「学校の役割はこれをクリアした先から始まるはずなのに…」という思いに戻ってしまいます。 「お願い」されている段階で「それは学校ではなく家庭できちんと教育すべきことです」と毅然と対応してこなかった「つけ」は、あまりにも大きかったことを今更ながら実感し、臍をかむばかりです。 保護者から学校に対して他方面にわたる要望。その中には、まったく見当違いと思われるものが少なからずあります。最初のうちは小さな「学校へのお願い」だったはずのそれらは、いつの間にか「学校で当然の指導」の様にされてしまっています。 要望どおりにならないと学校の、というより担当教師の指導(力)不足として指摘されます。その一方で、保護者や子どもがなすべき義務(と私は思う)のあれもこれも知らん顔の「今どきの親」たちがいます。 家庭内で教育されるべきことをされないまま入学してきた子どもに、がっかりしたりため息をついたり腹を立てたりする暇があったら、少しずつでもそれを教えていく方が実際的だ、と理解しつつも「学校の役割はこれをクリアした先から始まるはずなのに…」という思いに戻ってしまいます。 「お願い」されている段階で「それは学校ではなく家庭できちんと教育すべきことです」と毅然と対応してこなかった「つけ」は、あまりにも大きかったことを今更ながら実感し、臍をかむばかりです。
(三色弁当)
私の悩みごと
私は勤務したときからずっと、さまざまな理由で来室する子どもたちへの対応で悩んでいます。保健室へは毎日多くの子どもたちが来室し、いろいろな訴えを投げかけてきます。保健室登校の子ども、その周囲の子どもたち、ケガで来室した子ども…。すべての子どもたちが、それぞれの理由を持って来室しているのですが、十分に対応できずに、仕方なく戻っていく子どももあり、本当にどうすればよいのか日々悩んでいます。 私が唯一心がけるようにしているのは、「健康、元気」です。さまざまな理由で来室してくる子どもたちを受け入れるためには、養護教諭自身のからだが健康でなくてはならないと思うのです。
(くまのプーさん)
探している言葉
この職について、いつの間にやら27年。産前・産後・育児休暇を数回経験し、学校も6校目。教諭職の同級生は、教頭職に就き始めた。我が子も1人、2人と家を離れ…経済的には、多分、今が苦しい正念場(?)かと思う。しかし、今の自分は少し揺れている。存在感(必要感)が確かめられないのだ。 何事もないかのように日々が過ぎていく。これでよいのかと自問自答し、「いいんじゃない」と答えを出す。 教室で友人とつながれない生徒が顔を出す。いつものこと。「だ〜れも相手にしてくれない」と言う。私は「高校に行ったら…友人とか、また変わるから」と言う。「でも、君自身は努力してるの?」…喉元まで出た言葉を呑み込む。自分自身へ問いたいことかもしれない。 「うまく、とか、器用に、とか…苦手な人間もいるし、君は君でいいんだよ!」と、必要以上に明るく言っている自分に、びっくり。疲れたら誰だって止まりたくなる。でも、その後どうするかだ。私自身は、もう邁進の年ではなくなったのだろうか? 退職後の夢は、ささやかだが描いている。目の前の生徒はまだこれからだ。どんな言葉が彼を安心させるのだろう。それが見つかれば、きっと自分も元気になれる気がする。
(コスモス)
話し方について
朝の打ち合わせや、職員会議で発言する機会の多い私の課題は「話し方」。自分が聞き手になっている時の経験から、きちんと理解してもらうためのポイントは「声の大きさ・適切な語彙・話すスピード」の3つだと考えている。 マイクを使わずに肉声で話すとき、声が大きすぎて聞きにくいということはないが、小さい声のために聞き取りにくいと、もう聞こうとはしなくなる。適切な語彙を使えば理解しやすいことを、無駄の多い言葉でダラダラと話されると「言いたいことは何?」と叫びたくなるほどイライラする。普段から読書をし、国語事典を手近において、語彙を豊かにするための努力をしたい。 聞きやすいスピードと、特にそうは感じない普通のスピードは、きっと100分の何秒かの差だろうと思う。しかし、このわずかな差が、聞く人の耳を傾けさせる重要なポイントになることを、しっかりと心に留めておきたい。「話し方」の自己研修をはじめた私です。
(デコポン)
そんな保健室にしたいな
全日制の臨時養護教諭です。養護教諭として何ができるのか、この仕事を一生の仕事にしたいのか、いろいろ迷ったときに、「同じ時間人はどれくらい泣き笑い日々をめぐるのか、託されてる時間の中でただ僕はできるだけ笑ってたい」という歌に出合いました。泣いても笑っても同じ人生。それなら毎日をできるだけ楽しく笑っていたい。そう思えました。 人間関係に疲れることもたくさんありますが、自分の目の前にいる人は自分の鏡、私が笑えば目の前にいる人も、生徒も笑っていますよね。 「保健室に行くと自然と笑顔になるよね」といわれるような保健室づくりをしたいです。
(A・K)
となりの小学校の養護教諭
となりの小学校の養護教諭の先生に会えてよかったといつも思います。校種も違い、年齢も一回りぐらい上の先生なのですが、仕事の悩みや不満はもちろん、個人的にもたくさんお世話になっています。 私の学校にももちろん協力してくれる職員はいますが、やっぱり養護教諭って一人職。孤独を感じたり、無力感を感じたりすることも少なくありません。そんなときに決まってメールするのが、この先生。泣きながら電話しても、無理言って会ってもらっても、「先輩」として慰めてくれたり、アドバイスをくれたり。今の私にとってなくてはならない存在です。
(りんご)
いろいろな機会を捉えて
髪にパーマをあてて髪型を少し変えました。連休の後の火曜日、学校に行くと6年生の元気のいい男の子が数人やってきて「おばはんになったなあ」とか「かわいくなった」と、にぎやかにはやし立ててくれます。クラスのほうでもひとしきり話が弾んだようです。 昼休みには、女の子4人組が一度ちらっと通り過ぎたかと思うとすぐに引き返してきて、「先生、髪型変えた? かわいい!」との感想。それに対して「そう、ありがとう。だけどね、みんなはあまりパーマかけない方がいいよ。髪が傷むからね」とひとこと。 1年生に用事があり、教室の横を通ると、ニコニコしながらじっと私の方を見ています。「保健室の先生、髪型が変わった」と何人もが嬉しそうに言ってくれます。「そうよ」と私も笑顔を返し「バイバイ」と言ってその場を立ち去ります。 いろいろな機会を捉えることで、子どもたちと仲よくなれます。ちょっとしたことでも反応を返すことが大事だと思いました。
(M・S)
こんな先生になりたい!
本校の教員となって2年の先生が、部活動で全国大会出場を決められました。私はどんな指導をして強くなったのか知りたくなり、うかがってみると、返ってきた答えは意外や意外、「礼儀と作法から厳しく指導しました」とのこと…。いわゆるしつけを厳しく指導し、その結果、部員と顧問の心が一つとなって実力がついてきたとお話ししていただきました。 そういえば、保健室でもあいさつのできない子、備品を使うとき、だまって使用している子が、最近目立ちます。養護教諭として、心身の大切さを伝える前に、「“人”として大事なことを伝えてゆけたら」と強く思います。 保健室へ一歩でも入った生徒は、私の大切な保健指導の対象です。“きびしさもやさしさのうち”、いけないことはいけないと、きちんと伝えることのできる保健室の先生になりたいです。
(うめ)
痛みが分かるようになったきっかけ
今から数年前、とあることがきっかけで、とても仲よくしていた同僚の教師(年上の方)と口論になりました。その日から態度が急変し、私へのいじめが始まりました。辛い2年間でした。 幸いなことに、学校という職場には「転勤」があります。「数年後には出口があるのだから、それまでがんばろう」という気持ちになりました。また、ほかの同僚が励ましてくれたこと、そして、まだ子どもが幼かったので、家では職場のことなど思い出す暇さえなかったこともよかったことです。 その後、私は違う校種に転勤になりました。その学校で生徒の悩みを聞いたとき、その痛みが心の奥底から分かりました。それまでは、口先だけの共感だったような気がしました。いじめを体験するまでは「順風満帆」という言葉は、私のためにあるのではないかというような人生でした。とても鈍い私は、自分が経験して初めて生徒の痛みに触れることができたのです。 これが、教育相談の勉強を本格的にはじめるきっかけになりました。
(プラス思考で生きてる私)
心の中で輝き続ける先生
「なんでせんせいになったの?」と子どもたちに聞かれるたびに、いまの私の原点となっている国語の先生の話をします。こんな先生になってみたいと憧れた女性は、いくつになっても心の中で輝いています。 中学1年生のときに国語を担当してくれた先生は、小さい私よりさらに小柄で病弱そうな方でした。いつも大きなマスクをかけていましたが、腹の底からふり絞る声は、しっかり教室中に届いていました。 ちょうどいまの私くらいの年代だったと思います(50代前後のように見えました)。教えることが楽しく、授業に情熱をぶつけているのが伝わってきて、居眠りの生徒が一人もいない楽しい時間でした。 エネルギッシュな女性としてのその姿勢は、いつしか将来の自分の目標となり、先生になりたいと思うようになりました。 2年生の途中から転校されたので、その後の先生の様子は分かりませんが、きっと最後まで情熱を持ち続けておられたのだろうなと思います。 なぜ先生になったのかという質問には単純に、「子どもが好きだから」(本当です)と答えていましたが、子どもが好きというより学校が好きなのだということに最近ふっと気づきました。しかも一番楽しかったあの中学1年の頃に重なってしまうのか、中学校が好きなのだと年々思えるようになってきています。 自分の青春を懐古するような切なさを子どもたちに投影し、若さを懐かしみ、残りの人生を惜しむ今日この頃です。
(T・T)
いじめのない世界を望みます
今から20年前、わたしが6年生のとき、いじめにあった。クラスの女子全員から口をきいてもらえず、無視をされた。体育の時、走るのが遅いという理由で、リレーのある日は見学するように言われた。相手は教えてくれないのに、通知表の結果を全部言わされた。でも、わたしは親にも先生にも相談できなかった。「チクリ」と言われるのが、怖くて…。助けてくれない友だちを恨むこともできなかった。なぜなら、ターゲットが自分でないときのわたしも同じことをしていたから。そのときは、どこかホッとしていながら、またいついじめられるか、毎日ビクビクしていた。 ある日、わたしの心はとうとう悲鳴をあげた。その日はわたしの誕生日でもあった。左側に首が曲がったまま、戻そうとしても戻せない状態が続いた。このまま治らないのかと不安だったが、約6時間後に元の状態に戻すことができた。「原因は精神的なもの」という診断が出て、母親から、何か悩みがないか聞かれた。そこで初めて、大人たちにいじめの事実を話した。 一週間の入院の後、登校すると、担任の先生から話を聞いていた友だちは、手のひらを返したように優しかった。クラスのいじめも卒業と同時になくなっていった。 昨年の冬、同窓会が開かれた。「いじめ」の中心になっていた彼女も出席した。わたしはあいさつだけ交わした。彼女のまわりに集まる友だちはほとんどいなかった。1時間後、彼女の姿はなかった。そのとき、彼女はあのときいじめられていた人たちの気持ちが少し分かったのではないかと思った。 首が曲がったままのときのつらさは今でも忘れられないが、伝えられない苦しさが身体の症状という形で出てきてくれたことは、わたしにとってはよかったのかもしれない。あのとき、自分は世界でいちばん不幸だと思った。そんなとき支えになったのは、別のクラスの友だち、家族だった。この「いじめられた」経験があってこそ、今の強くなった自分があったような気がする。それにしても、いまだにいじめられた理由は分からない。 昨今、いじめに関連するニュースは後を絶たないが、「いじめによる自殺」がなくなることを願ってやみません。
複数配置ってステキ!!
もうすぐこの学校ともお別れです。臨時採用教員としてかなしい季節がやってきました。私はこれまでお二人のベテラン養護教諭と一緒に仕事をしてきました。 多くの先生は、お一人で保健室経営をしているので、様々な思いはあるかと存じますが、私は分からないことや生徒との対応での悩み事を相談したり、共有することで、自分の考えに固執することなく、「子どもにとって何がいちばん大切か」を考えて過ごすことができました。さらにお二人に出会えたことで私の養護教諭観を深めることができました。 また、特別な事情がない限り、保健室にはどちらかが居ましたから、子どもたちも安心して学校生活が送れたと思っています。これはやはり複数制だからできることではないでしょうか。お二人とも本当にお世話になりありがとうございました。
(Y・N)
パートナーへの感謝
夫が単身赴任しています。「単身赴任」という言葉は、知人や保護者からもよく聞いていました。今回、我が身にそれが起こって、初めてこの言葉の持つ重みを知りました。 夫と一緒に毎日生活をしなくなって、初めて分かったことがたくさんあります。 その一例が、息子が小さいとき植えた、庭のどんぐりの木の落ち葉です。落ち葉って、秋だけじゃないのですね。私が玄関周りをはいています。夫がずっとしてくれていたのですね。ありがとう! 夫とは毎日メールをしています。口では言えないことも、メールではいろいろ言えます。「寂しいので、早く帰ってきてね」etc… 結婚して27年。離れてみて、夫の存在の大きさを知ることができました。それが分かっただけでも良かったのだと思います。 大切なパートナーに感謝します。
(プラス思考で生きている私)
N先生の健康観察
「先生、Tちゃんが運動場で倒れた!」4年生の男子が保健室に飛び込んできた。体育の見学をしていたTは「気持ちが悪い」と言った直後に突然倒れたというのだ。毛布やタオルなどを抱え、運動場に向かった。現場で見たTの様子は、呼吸はしっかりしているものの意識がなく、大きないびきをかき、嘔吐もしていた。脳内に重篤な異常が起きていることは明らかだった。 救急車で搬送された病院の待合室で私たちは、ひたすらTの無事を祈った。しかし、しばらくして検査を終えた医師からは、緊急開頭手術が必要なことを告げられ、Tが生死の境にいることを思い知らされた。長時間を要した手術だったが成功裏に終わり、数カ月の入院生活を終えたTは回復し、元気に登校できるようになった。 20年も前のこの出来事を忘れることができない。それは小学生としてはとても稀で深刻な病気だったこともその理由だが、もう一つは担任のN先生が保護者に状況を説明した時、「朝の健康観察では異常ありませんでした」ときっぱりと伝えたからだ。 日ごろから朝の健康観察が欠席者を確認するだけで、出席者の健康観察をおざなりにしがちな学級担任が多い中、N先生のクラスの健康観察カードの出席者の欄にはいつも「・」がついていた。子どもたち一人ひとりの健康を確認した印だ。N先生が毎朝子どもたちの健康観察をきちんと丁寧にしていたからこそ、緊急場面で担任として責任をもって言える言葉だったのだ。 N先生がご病気で逝かれて5年、ご命日が近づくとあの日のことを思い出す。機会あるごとにこの話をして、担任教師が行なう健康観察の大切さの再認識を促している。そして私自身もまた、それをしっかりと心に置く。
(イソップ)
子どもの名前をおぼえていた自分に拍手
養護教諭になり、今年で30年を迎えました。現在の小学校で3校目です。30年という長い間、3人の子どもを育てながら、ここまで勤めてこられたのは、私だけの力ではなく、家族の協力や、職場の人たちに恵まれたからだと、感謝しています。 新任として赴任した学校は複数配置で、1,400名を超える児童数でした。何も分からずに、先輩養護教諭に学びながらの毎日でした。 3年目、私は1人勤務になりました。あの頃「児童数が多くても名前は全員おぼえている」…それが私の自慢であり、誇りでもありました。ところが、近年は子どもの名前がおぼえられず、一度おぼえたつもりでも、忘れてしまい、子どもの顔を見てもすぐに名前が出てきません…。 先日、勤務の帰り、スーパーに買い物に寄りました。「あっ!」女性店員さんの顔に見おぼえがあります。とっさに「○○さん?」と、閃いた名前を口にした私です。 もう10年以上会っていない、前任校の卒業生でした。名札をそっと見ると、やはり○○と書いてありました。「当ったり〜!」名前をおぼえていた自分に拍手。うれしい気分! そして、立派に成人した卒業生の姿を見ることができて、思わず、微笑んでいた私です。
(SHINKO)
自尊感情を高めるために・・・?
「子どもたちの自尊感情が低い」ということが、最近の話題の一つになっている。「それではいけない。自尊感情を高める指導をしよう」「子どもたちを大いに褒めよう」の機運をそこかしこで感じる。 ある学校では「いいこと見つけ」と称して、よいことをした子どもの名前やそのときの様子を紙に書いて何カ月も張り出すことで、その対策としているとも聞く。 しかし、子どもの自尊感情とは、そんなに単純なものとは思えない。子どもたちは生を受けてわずか10数年しかたっていないのだ。大人がすでに失ってしまった、実に鋭い、ストレートな感覚・感受性を持っている彼らを、侮ってはいけない。そんなとってつけたようなおためごかしともへつらいとも誤解されかねないような見え透いた方法が、子どもたちの気持ちにきちんと届くと本気で考えているのだろうか? そもそも自尊感情について、養護教諭を含めた教員がどのくらい学んでいるのだろうか? ハウツー本を何冊か読んで理解したつもりになっていないか? 加えて、保護者との協力は置き去りにしている状況は、学校の思い上がりとも思える。 別な見方をするなら、子どもの自尊感情云々の前に、指導しようとしている教員の自尊感情は? 指導者側の自尊感情についてはまったく省みられることなく、子どもたちは…とスタートしているが、子どもたちを囲む大人の自尊感情だって実は危うくなってはいないか? 少し落ち着いて、まずは指導しようとしている側が謙虚に自身を振り返り、勉強するところから始めることが、結局は子どもたちのためになる指導につながると思うのだが…。
(ターメリック)
あの子だったら、何点くれるかな…
小4の女子で、頭痛や吐き気を訴えたり、眠そうな顔をして、わざとらしく廊下で倒れたり、再三にわたり来室をくり返す児童がいました。 ポツリポツリと語る言葉から、両親のパチンコについていくので、寝るのが遅くなるということが分かりました。担任と情報交換し、生活改善してもらおうと担任が家庭訪問しました。しかし、その後も体調不良は続き、クラスでも友人関係でトラブルを起こすなど、問題の解決はされませんでした。 来室したら私の隣にすわらせ、マンガや絵を描かせることにしました。そうしているうちに、私の仕事のミスを見つけてくれたり、保健だよりのカットを選んでくれたりしてくれ、私はその子に「ありがとう」とよく言うようになりました。完成した保健だよりを見せ、評価を求めたところ厳しく減点されました。理由を尋ねたところ、レイアウトに関して私が手を抜いたところを指摘されました。 母親が授業参観で来校したとき、保健室に寄ってくれました。外部のものに想像できない家庭の事情があることを知らされ、この子がいちばんの被害者であることが分かりました。 家庭を改善するというようなおごった考えは捨てよう。子どもたちが登校して疲れたら、保健室で休養し、私の存在を意識してくれたらそれでいいと思いました。そして、来室した子との人間関係を築くことが何より大切と考えるようになりました。 あれ以来10年、毎月発行する保健だよりは、「あの子だったら何点くれるかな」と思って作っています。
(あやめだんご)
「もったいない」の心
ひところの断捨離ブームには乗り遅れたけれど、衣類の整理をしようと思いたった。若いころ、ストレッチパンツやセーターなどの日常着は、本当に気に入ったものしか購入しなかったから、大切に着て、手入れも怠らなかったことが幸いし、どれも問題なさそうだ。何よりも変化が著しい体型を十分カバーしてくれるから、ほとんどは現役として続投可と決定した。 問題は伸縮性のない素材のスーツ。ご多分にもれず「いつか着るかもしれない」と何着も洋服ダンスに釣り下がったまま、場所塞ぎになっていた。今の体重は若いころよりやや減っているから、と一縷の望みにすがって試着すると…(ホッ!)上着は問題ない、いいんじゃない! とニンマリ。…が、スカートは話にならなかった。予想していたとはいえ打ちのめされた。そう、特に下半身は素直に重力に従っているのだ。分かっていたことなのに、知らん振りして望みをもった自身の悪あがきを後悔した。 さて、この数着のスーツ、オーソドックスなデザインだから今の時代に着てもおかしくはないが、どの道、私は着ることができない。どうしよう。そこで「どなたかが着てくれれば、うれしいな」と思い、日ごろから仕事資料のやり取りをして親しくしているA先生に「ご迷惑でなかったら、いかがだろうか?」と声をかけたところ、サイズや好みに合ったものを引き取ってくださった。 後日、A先生から「頂いたスーツを着て学校に行ったら、先生や生徒たちによく似合う、と褒められた。ありがとう」と嬉しい連絡をくださった。A先生、活用して下さってありがとう! ふと、ノーベル平和賞受賞者で、「もったいない」を世界に提唱したワンガリ・マータイさんを思い浮かべた。単にものを無駄にしないだけでなく、差し上げたほうも受け取ったほうも両方がありがとうの気持ちになる。そんなことをささやかながらの断捨離で実感し、季節が変わったら、第2回の断捨離計画を面倒がらずに立てられそうな気がした。
(じゃじゃ丸)
先生、治る…?
我が校の生活科室には、大きな犬のぬいぐるみがある。道徳の教材として、ある先生が持ってきたものだ。「ゴンタくん」という愛称で、子どもたちのアイドルになっている。 そのゴンタくん、かわいがられ過ぎるのか、よくケガ(?)をして、保健室に連れてこられる。子どもたちは大騒ぎだ。 「先生、治る…?」「ゴンタくん、痛いって泣いてる?」と、心配そうにたずねてくる子どもたち。私は針と糸を取り出して「手術してあげる。治るから大丈夫だよ」と声をかける。治療(?)が終わると、うれしそうに「退院だ」と、連れて行く。 子どもたちは、「ケガをしたら保健室に行けば大丈夫」と思っているらしい。2年生の男の子に「先生、紙飛行機がケガしちゃったから、ばんそうこう貼って」と言われ、セロハンテープを貼って直してあげたこともあった。「ここは小規模校だから、そんな余裕があるのかも」と思ったり、子どもたちに信頼されていることをうれしく思ったり…。 そんな複雑な気持ちを持ちつつ、今日もゴンタくんのからだを治したのだった。
2012年10月号『健』広場のかりんさんへ
私も、かりんさんと同様のことで悩んでいます。 本校には、校内中間教室(保健室登校生の居場所)が設けられていて、養護助教諭(私)が担当しています。かりんさんと同じような状況で、私も生徒たちと接していますが、最近感じることは、本人たちの気持ちに任せるしかないのかなぁ…ということです。本人たちに気持ちや意欲がないと始まらないのが現状です。 もちろん、必要な声かけや支援は続けますが、期待することや少しの可能性にかけることには、もう疲れました。今は、多くのことは望まず、必要な支援をしながら、本人たちの気持ちが動くのを待ちたいと思っています。 また、担任との関係も私が苦痛に思うことの一つです。普段はこちらに任せっきりで顔も出しに来ないのに、ちょっとした提案をしたり、状況を聞きにいくと、機嫌をそこねます。「担任は私だから口を出すな」と言われたこともあります。 ですから、いつもお伺いを立てて、ご機嫌をとりながら接していくしかありません。管理職からは「もっと積極的にかかわるべきだ。担任も悩んでいる」と言われますが、現状も知らないのにいろいろ言われるのは…。 担任とのかかわりについて管理職に悩みを相談したこともありますが、それは「担任に直接言って」と言われました。こんな管理職の下では働きたくありません。 私はもう、ただただ異動の時期を待つばかりで、静かに波風が立たないように仕事をしています。そういう方法でしか自分を支えられません。ただ、こんな姿勢で、こんな思いを持ってしまう私は、教育者として、養護教諭として、失格ではないか…。この仕事に向いていないのではないか…と考えてしまう毎日です。
(にこちゃん)
家族考
来室した子が検温している間に一緒におしゃべりをするが、先日こんなことがあった。「何人家族?」と聞いたところ、「ペットもあわせて?」と言った小2の子がいた。今やペットも人数に入れたいほど大切なんだ、とほほえましい気持ちになった。 後日、やはり来室した小5の子に何気なく「何人家族なの?」と聞くと「おじいちゃんとおばあちゃんも入れて?」と聞き返された。「祖父母と両親の関係が良好ではないのか?」などと勝手な想像をしそうになった。家族の概念が変わりつつあるのだろうか?
(オレンジティー)
先生、どうぞ!
「先生、どうぞ!」学級園でとれたミニトマトやオクラなどを、ときどき子どもたちがおすそわけで持ってきてくれます。形はそろっていないし、色もイマイチ…。でも、買ったものよりもオイシイ!! 農薬を使っていないこともその理由の一つでしょうが、子どもたちが育てたことに一番の原因があると思い、ありがたくいただいています(^_^) ごちそうさまです。
(ハラペコくまさん)
保健委員、活躍中!
「先生、保健委員会に入れてよかった」と嬉しそうに報告しに来てくれます。保健委員は希望者が多くてじゃんけんで決めたそうです。 そんな話を聞くたびに「委員会を価値あるものにしたい」「自主活動をする中で、何かを得てほしい」と強く思います。 第一回の保健委員会活動の時間には、いつも休憩時間の保健当番についての話をします。子どもたちは低学年の世話をするのが大好きです。簡単なすり傷の消毒や検温や問診をさせていますが、みんな遊び半分ではなく、一生懸命にしています。来室者が少ないと「あいそがないなあ」とぼやいていますが、「それは学校が平和な証拠」と私はほころんだ顔で答えています。 先日1年生のK子ちゃんがボサボサ頭で来室しました。家庭に恵まれず、よく来室します。検温の最中にくしを出して、三つ編みをはじめた私に「わたしがしてあげる」と委員の一人がきれいに編んでくれました。K子ちゃんの顔がみるみる明るくなり、休憩時間が終わると、可愛い顔で元気に教室に帰っていきました。 「K子ちゃん、かわいかったわー、元気になって良かったね」と保健委員。「髪をとかしてあげたから元気が出たのかもね。ハンドパワーかな。ときには体に触れることも大切なこころの治療になるのよ」と私。保健委員は誇らしげで満足そうな顔をして教室に戻っていきました。 上級生はあたたかい気持ちで接して欲しい。下級生は温かさを感じて欲しい。保健室でいつもそう願いながら、保健委員さんの活躍ぶりをみています。
(ピンクのコスモス)
聞いてよ、聞かせてね
「そろそろ、やらない?」この言葉は仲間の友人たちとの間で「ストレスが満たん状態。話そうよ」のサインです。土曜日の昼前に集合し、リサーチしておいた美味しいランチをゆっくり食べたあと、友人宅へ行き、椅子かフロアに座ったら“開始”です。 日々澱のようにたまったストレスは、とにかく「話すこと」によって吐き出します。「あなたの考えは正しいと思うよ。めげずにがんばって」と励まされて元気をもらうこともあれば、「それには賛成できない。私はこう思う」と真っ向から対立する考えを示され、議論が白熱することもあります。 しかし、お互いに遠慮なく意見を言い合えるため、自分を振り返ったり、異なった考えを受け入れることができるようになったり、視点を修正できたりするので、ストレスを解消するだけでなく、前向きにもなれます。 午後の数時間を夢中になって話すと、夕食はちょうどよいブレイクタイムになり、食後は最近読んだ本の感想や気になっているニュースなどをゆったり話します。 日付が変わるころには「さあ、またがんばろう!」と、新たな意欲とよい友だちに恵まれた幸せを実感し、感謝の気持ちでいっぱいになっています。 「話すこと」は毎回12時間にも及びますが、私にとってはストレスを解消し、エネルギー充電の大切な時間です。
(おむすびZ)
手相教室
手相教室へ参加しました。手相の鑑定料を数千円支払うより、教室の受講料を支払って、自分で手相が見られる方がお得だなと思ったからです。それに保健室で悩みを訴える子どもたちとの会話が弾んだらおもしろいなと不謹慎なことも考えました。 でも、教室へ参加して、その考えの甘さに気づかされました。手に刻まれた線の多いこと。生命線、知能線、頭脳線、結婚線、向上線などたくさんあり、手相の奥深さに驚きました。指紋は一生変わりませんが、手相はその人の生き方によって変化していくのだそうです。 印象深かった先生の言葉は「手相には、過去と現在と未来が刻まれています。その人が良い人生を歩めるように、よい線をお伝えすることが大切なんでです」というものです。私は手相に限らず、子どもたちのよい面を子どもに伝えていくことが大切なんだと気づきました。 早速家に帰って、我が子の手相を見ました。手相のことは分かっていませんが、「すばらしい手相をしているわ。この向上線がすごくいい。いつもがんばってるもんね」といかにも手相のことを熟知したような発言をしました。すると、我が子は上機嫌で宿題に取りかかりました。 子どもたちには、どんな未来が待っているのか不安と希望があります。「私にはとてもすばらしい未来が待っている」と思うだけで、自信を持って生きてくれるはず。保健室の子どもたちの悩みも、手相で解決できたらいいな、とやはり不謹慎な考えは改まりません。私には、怠け者の相があるのかな。
(夕焼け)
美しいお辞儀
用事があってわが家にみえた近所の方が、玄関を出る際にしてくださったお辞儀は感動するほどの美しさでした。私のお辞儀は…。美しいかどうかの対象にすることすら論外のお粗末さ。それ以降、お辞儀するときは美しく見えるようにと、気にしています。背中のほどよいなだらかなカーブと首の曲げ具合、そして腰を折る角度と両手の添え方がポイントだろうと思うのですが…難しいです。 お辞儀のみならず、年齢を重ねるからこそのいい顔と品位のある美しい所作を得るための努力をしなくてはと、自分に言い聞かせています。
(チャイ)
逆上がりができたとき
運動音痴のわたしは、5年生になっても「逆上がり」ができなかった。できなくても特に努力するわけでもなかった。ところが、5年生の時の担任の先生はそのままにはしてくれなかった。そのころのスポーツテストには「連続逆上がり」なるものがあり、「1回もできないと、点数にならない」というのだ。 そこで、スポーツテストまで、友だちがつきっきりで、毎休み時間練習することになった。できない姿をほかの学年の人たちに見られるのは恥ずかしく、何度も投げ出しそうになったが、先生は許してくれず…。 練習を始めること1カ月。なんとできるようになったのである。あのくるりとまわれた瞬間は、大人になった今でも忘れられない。最後まであきらめないという大切なことを教えられた。あのときの達成感を味わわせてくれた先生に今でも感謝している。
(美和のPOOHさん)
仕事の後はこんなふうにリラックス!
わたしのリラックス法は部屋でお香やアロマをたくこと。働くようになってから、外に出かけたりすることも増えたけど、1人の時間を大切にしようと思うことが多くなりました。ゴロゴロしてから、ぼーとしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり…それに香りをプラスするように。 近頃は「リラクゼーション」などと称し、店頭にもたくさん品物が並ぶようになり、種類はさまざま。不動の人気は“ラベンダー”だそうですが、最近、わたしはグレープフルーツの香りを楽しんでいます。食欲を押さえる効果がある! なんて聞いたりしますが、わたしには関係ないみたい。お香では“セキンド”という香りがgood! わざわざそんなものにお金を出して…という友だちもいるけど、何にお金を費やすかは人それぞれ。エステに行ったり、温泉に行ったり、高い服を購入したり…。それはなかなかできないけれど、お香やアロマなら、手の届かない金額ではないし、わたしにとって香りを楽しむためにお金を費やすのは、ちょっとした贅沢。 みなさんの中で興味がある方は、是非いかがですか?
(あめふりくまのこ)
最近感じたこと
養護教諭の仕事は年々増えこそすれ、少しも減りません。ですから、膨大な仕事をこなしていくには、優先順位をつけることが大事だと考えています。 最優先して当然なのは、保健室内を清潔に整理整頓すること、日々ケガで来室する子どもたちへの対応やその記録、そして自分が転勤するとき、次の先生に引き継ぐ資料等を整理することなどだと思います。 しかし、最近それをなおざりにし、保健の授業や自分が興味のある執務についてのみ研修したり、外部に発信していく人が多いと感じられるのは私だけでしょうか? それらもとても重要で、必要なことだとは思います。しかし、それらが最優先の事柄だとは思いません。私は自分の興味のある執務だけを最優先にするのではなく、先に挙げたようなことにも同じウエイトをおいて、きちんと仕事をこなしていきたいと思います。
(ディップ)
音がないと寂しいから…
頭が痛いと言ってきたFさん。Fさんの家庭での様子を聞いてみると、テレビを部屋で一日中、寝ているときもつけたままにしているようです。その理由は「音がないと寂しいから」。 彼女の孤独感を癒せる家族の温もりがあったなら、頭痛も治まるのかなと思ってしまいました。(紫あじさい)
(紫あじさい)
「ありがとう」
「優しい養教でいたい…」と思っていながら、あれやこれやの雑務の中でどうしても理想と現実にギャップがあり、悩んでいました。養教としてだけでなく、一人の人間としてもこんなんじゃいけない…と思ったときに同僚から「“ありがとう”を心がけてごらん」と、すすめられました。 「委員会の仕事だから当然」と思って子どもにやらせていたことにも「ありがとう」という言葉をかけるようにすると、気持ちが少し変わりました。後から「もっと優しくすればよかった」と後悔することが減りました。 「ありがとう」と言うだけで気持ちも穏やかになれたのです。今まで小さなことでイライラしすぎていたみたいだと反省。「初心に戻らなきゃ」と考えていた矢先、異動することになりました。子どもたちとお別れの日、何通かの手紙をもらいました。その中に「私は保健委員の仕事をしたときに、先生がいつも“ありがとう”と言ってくれるのが、一番うれしかったです」と、書いてありました。 「ありがとう。ありがとう」と唱えていると、ありがたいことがよってくるとテレビで見ました。そのとおりだと感じています。これからも「ありがとう」を口癖にして生きていきたいと思います。
今どきの子どもたちについて思うこと
私たちの世代とは就寝時刻と睡眠時間がちがう! と思います…。私が子どものとき、夜10時をすぎると「どうしよう、明日、起きられないよぉ」と、あせっていました。ところが、今の子どもたちは低学年でも10時まで起きているのはザラ、11時まで起きている子もいます。 理由を聞けば、宿題やゲームなど“自分の都合”で、遅くなった子もいますが、「親と出かけていた」「親の友だちが家に来ていた」など“大人の都合”で、遅くまで起きている子どもがいることが私には残念です。子どもが変わったのは大人のせいかな…? と最近、思います。 私を含め、社会をつくる大人がしっかりしなくちゃいけないと、反省しています。私が子どもだったころは、大人がもっと厳しかった気がします。
(悩める羊)
名簿の中の養護教諭
本校や近隣の学校の名簿の中で、「養護教諭」が「教諭」の下に来ているものが多く、それについて、養護教諭は教諭の下であるかのように感じるという意見を耳にすることがあります。でも、私はそれを「差別」だとは思いません。実際は単なる区別だと思うのです。 養護教諭は授業を持つことも少ないし、学級を担任することもないので、やはりその特殊性から「養護教諭」は「養護教諭」という名前でよいと思うのです。「教諭」と同等に扱われるかどうかは名前如何ではなく、養護教諭個人の人格や力量が大きくかかわってくると思います。ほかの教諭より学歴が上だったり、リーダーシップがあったり(実際、養護教諭から管理職になった人もいます)、そういうことが、周囲の見る目を変えるのではないかと思います。 願わくば、養護教諭の学歴が向上することに期待したいです。養護教諭の地位向上につながる近道だと感じるからです。 もし、用務員が「事務員より地位を向上させてほしい」と言ったら、どうでしょう。「養護教諭を教諭にしてほしい」と言うのと、同じ思いを私は感じます。
(五月晴れ)
本当は怒ってほしい…
今でも忘れられない、そして今ではよい思い出となっている子どもたちとの出逢いを紹介します。 以前勤務していた中学校で、授業をさぼってやって来る2年生、数名の男子生徒がいました。その男子が保健室に来るたびに「あぁ、また来た…」とブルーな気分。 保健室に来るときは何か教室で先生に怒られて、むしゃくしゃしているときが多く、保健室の机やゴミ箱を蹴ったり、注意すれば暴言を吐いたりで…。かといって、知らん顔をしていると「シカトかよ」の一言。一人ひとりじっくりかかわってあげると、(きっと)とってもかわいいと思うのです。でも、集団になると手がつけられなくなるときもあり、朝、学校に着くと、自分の車からなかなか降りられなくなるほど、気分は落ち込んでいました。 しかし、3年生になると高校進学を意識しはじめるのか、K君のみを残して他の仲間は、授業に出るようになっていたのです。進学も考えていないK君は、授業に出ても面白くなく、保健室のソファに横になっているような日々でした。 ある日、いつものようにK君は横になっていつの間にかスヤスヤと眠ってしまいました。私は、午後から研修に出かけなければならないので、そっと毛布を彼にかけてあげ、出かけました。次の日、彼の仲間の一人から「K君が、昨日保健の先生に毛布を掛けてもらったって言ってたよ」と聞きました。 彼はすごくうれしそうだったということでした。私がかけていたこと分かってたのかなと思うとうれしくなりました。それからでしょうか、彼が私に心を開いて話し始めたのは。(それまでの道のりは長かった!)彼はこういいました。「先生たちは、俺が悪いことをしても本気で怒ってくれない。分かってても無視する。本当は怒って欲しい…」と…。胸にズキッと突き刺さるものがありました。私もそうでした。 注意してもその分跳ね返ってくるのなら、関わらないほうがいいと思っていました。でも、少なくともK君は誰かにかまってほしかったのでしょう。そんな彼の一面を見て、とてもかわいらしく思えて仕方なくなりました。あのときは辛い毎日だったのですが、彼らから私は大きなものを学んだように思えます。
疑われた1カ月
夏が近づくと思い出すのは、数年前の辛く苦い1ページ。6月の体重測定を終えて、健康手帳にその結果を記入し、いつものように家庭に配布した。月末になり、一クラス分だけ書類戸棚が空になっていたので、慌てて保健室の周辺を探したが、そこにあるはずの健康手帳がなかった。思いあまって学級担任に問うと、探してくれはしたが「確かに提出しました。家庭から回収した後、職員室の養護教諭の机上に夕方置いた」ときっぱり返された。「学級担任の思い違いでは…」と、私は確信したが、学校内の雰囲気は誰もが養護教諭を疑っていた。 健康手帳は個人情報の最たるものである。校長・教頭・生徒指導主任・学級担任・養護教諭の緊急打ち合わせが持たれ、学校内を教職員全員で探すこと、管理職から市教委へ報告し、始末書の提出をすることになり、その経緯を私が書かされることとなった。 一学期の終業式も間近となり、保護者面談での謝罪も射程距離に入っていたとある土曜日の午後、自宅の留守電に「先生、すみません。ありました」と縮こまった学級担任の声が入っていた。
「しばり」の中で生きる
私たちは、いろいろな規則の中で生活しています。その規則は窮屈に思えることもありますが、秩序が守られ、皆が安心して暮らせるよい面もあります。規則は規則なのですが、私たちは自分の心の中にも決まりをつくり、ある意味いろんな「しばり」の中で生きています。 この「しばり」は監視であったり、叱りであったり、負荷や戒めであったりします。人間は誰だって楽なほうがいいと思うもの。だから、何かにしばられていないと怠惰になり、相手を尊重しない、勝手気ままな人間になってしまうかもしれませんね。自分が向上していくためにも、自分自身にしばりをかけることは必要です。 たとえば私は、「母とはこうあるべき」と理想像を作り、理想の母親を目ざし、日常のちょっとしたことでもいろいろ工夫し、努力するという「しばり」をかけています。それは、家族とのかかわりの中であったり、料理や洗濯のときであったりします。 さて、子どもたちは、自我が芽生えていない思春期以前は、周囲からしばられることのほうが多くを占めます。よく、子どものしつけで「言うことをきかないと○○よ」という方法を用いますね。しばりをかけるわけです。これはこれでよい方法の一つです。しかし、使いすぎると、いつしかしばりではなく、呪縛のような支配という形になってしまうかもしれません。 「しばり」の方向性は、「その人が向上していくためのもの」だから、しばりを自ら受け入れられるものとしたいのです。 “人と比べていないと言っていても、どこか言葉の端々にほかのこと比べている” “自由にやっていいよと言いながらも、最終的には大人の思い通りにしようと都合よく言葉巧みにひっぱっていないだろうか” “がんばりましたねと言いながらも、がっかりした表情を見せていないだろうか” 今まで、数年間であっても、親子関係・師弟関係の中での歴史が物語っていて「がんばりましたね」が本心かどうか見破られてしまう。そんな鋭い感覚の持ち主でもある子どもたちです。子どもたちが前向きになれる「しばり」を考えてみたいです。
(やぐるまそう)
子どもたちからのインタビューに“ドキリ”
学級新聞をつくるためとのことで、子どもたちからインタビューを受けました。「どうして保健の先生になったの?」「毎日、やっていることは?」「学校で一番好きな時間は?」「どうしてその時間が好きなの?」……。 一つひとつ、子どもたちに分かりやすく、簡単に答えるのですが、それだけでも一苦労。でもいちばん困ったのは、即答できない質問があること。「趣味」「大切なもの」「将来の夢」などの質問には、頭がまっ白になりました。 毎日「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」「明日はなんだっけ!?」と、ドタバタと過ごし、土日も、学校経営案やら疾病の統計やらのために、学校に出てきたり、ほけんだよりを家で書いたりと大忙し。子どもたちに「夢や希望を持て!」「楽しく生きろ!」と言うわりに私は…。 反省すると同時にドキリ。「ダメだ、ダメだ! もっと人生楽しまなくちゃ!」飲みに行ったり、買い物に行ったり…も大切ですが、とりあえず仕事を楽しもうかな、と思う今日この頃です。
(熊本県 もみじ)
「断ることができる」は、究極の人間関係
今まで、一度も「断る」ことをしないで生きてきた人はいないでしょう。ですから「断る」ことの難しさは誰もが経験しているはずです。「はい」という返事もときには言いにくいこともありますが、「いいえ」の返事のほうが、やはり勇気がいります。なぜなら「いいえ」「嫌です」と言ったとたん、今までの人間関係に“ヒビ”が入り、その“ヒビ”がいじめや嫌がらせとなって、後々自分がつらい思いをするかもしれないと想像がつくからです。それを考えると「断れない…。でも、断らないと」ということはあります。断るときこそ、その相手との日頃の人間関係の結果が出るときです。 断ったとして、はたして、その後も良い人間関係を続けられるのかどうか悩むところです。もし、子どもから「どうやって断ろう」と相談されたら、どう答えたら良いのでしょう。「はっきり“イヤだ”って言えばいいのよ」と言ってあげますか? はっきりとかきっぱりとか、私たち大人でもなかなかできないものです。この場合、どのように言ったら良いのか、いっしょに悩んであげたほうが良いのかもしれません。言い方、言葉の選び方をいっしょに考え、その言い方をおうちの人と何回も声に出して練習するのがいいと思います。 子どもたちが成長すると、お酒やタバコをすすめられることもあるでしょうし、高校生くらいになると、薬物の誘いだって、なきにしもあらずです。「断らなければならない」ことも出てきます。私は小学校6年生の保健学習の授業で、「お酒やタバコをすすめられたら…」「薬物を使うよう誘われたら…」という設定で、自分はどのように答えるのか考えたり、実際に役を演じて、言葉に出して言ってもらったりする学習を取り入れています。 授業のときは、きっぱり断ることができていますが、実際にその場面に遭遇したら、とても怖いし、声を出すことさえ難しいと思います。数人に囲まれたらなおのこと、部屋に閉じ込められたら逃げられないかもしれませんね。怖い思いをしなくてもすむよう願うばかりです。 さて、「断る」ですが「イエス」か「ノー」かはっきりしない言い方だと相手を怒らせることもあります。まずは静かな口調で伝えてみることがおすすめです。答えは「ノー」ですが、あなたを嫌っての「ノー」ではありませんというオーラを放ちながら…。
笑えるでしょう?
私の同僚で(私の親より年上の方です)、腹が立ったときなど「笑えるでしょう〜」と言う人がいます。それは自分に起こった出来事を、まるで第3者の目で見たかのように他人事として話し「くだらなくて笑えるよね〜」と、表現するのです。 おなじ腹が立っても「むかつく」というより「笑えるでしょう」と言って笑い飛ばせるなんて、なんか素敵だなあと思います。 学校の子どもたちもですが、周りの大人の間でも「むかつく」「最悪」「信じられない」なんて言葉はよく出てきます。第3者的立場から冷静に見ると大したことじゃなかったり、どうでもいいことなのに。自分の思いと反するときに簡単に「むかつく」「最悪」という言葉で、その気持ちを表現する人が多い気がします(私もですが…)。これらの言葉は言ったほうも、聞いたほうもいい気持はしませんよね。 言葉は魂を持っているといいますが、私もその同僚のように「むかつく」のかわりに「笑える〜」と言いたいなあと思いました。
頑張りすぎも…
職場に責任感が強くなんでもこなしてしまう仲間がいます。その方は、自分がなんでも把握していたいし、相談ごとや悩みごとをなんでも引き受け、対応できてしまう能力のある方です。 しかし、立場が上になることで、弱音を吐けず、誰にも悩みを相談できないまま、抱えこむことが多くなったようでした。年々、仕事の量は増すばかり。周りはその方ができる方だと思って頼りにしていますし、むしろもっと頑張って、管理職以上になってもらいたいという期待も大きかったようです。本人がそんな自分に誇りを持ちつつも、毎日重たい鎧をつけて出勤してきているなどと誰が思うでしょうか。 そのため、次第に心身に異常が現れ、休養が必要になったようです。仕事を休むのはプライドが許さないらしく、退職することを決意されました。もう一度生まれ変わって、いちからやり直したいそうです。 その方は、40代になったばかりで、夢があり、その夢をあきらめていないそうです。向上心のある方で、これからの生き方を問ういい機会になったということでした。でも、退職する前に、誰かが気がついていたら…。 私は、なぜ周りが誰も気づかず、声をかけてあげなかったのか不思議に思いました。その方が心の病に伏されたのは、職場の環境だけではなく、家族の影響が大きいことも感じていました。母親や父親の過度の期待、甘えさせてくれる居場所がなかったということも影響しているようです。 体調は自分だけでは管理できないことも多いです。周りの方が思いやったり気配りをしたりするなど、助け合って生きていくことが大切だと思いました。
人にストレスを与えないように
以前、私はストレスから体調不良になりました。医者から「大きな病院で精密検査を」と言われ、検査を受けましたが、結果は「異常なし」でした。しかし、からだのだるさや血液の異常値は改善されないままでした。 児童・生徒、保護者との人間関係も大変かと思いますが、私にとって一番辛いのは、職員との人間関係でした。一人の職員から辛くあたられたり、冷たくされると、なんとなく「この学校の職員全員から嫌われている。私なんていないほうがいいんだ」と、思ってしまいました。 体調がよくなった今では「○○先生以外は、みなさんよくしてくださったのに…」と思えます。私自身、自分のことにしか目がいっていなかったのだと思います。私には、その職場から離れることでしか、ストレスの解消はできませんでした。 そのことがあって以来、気をつけていることがあります。それは「私が人にストレスを与えない」ということです。仕事上、言うべきことや、しなくてはならないことはします。人間ですからあわない人もいますし、人間ができていないので、すぐに顔や態度に出てしまいますが、せめて自分が原因で自分が体験したのと同じつらさを与えないように努力します!
(カンフー娘)
どうにもならない…どうしたらいいの?
ある学年主任は、口は出すが、手は出さない。人の意見に耳は貸さない。自分の思い通りに無理にでも意見を押し通すタイプであるため、誰も手も口も出せなくなってしまっている。はっきり言って、面倒くさいから好きにやらせて、適当に相手をしておくといった感じに全体がなっている。 その学年に不登校の生徒と不登校ぎみの生徒、なにかあれば不登校になってしまいそうな生徒がいる。その生徒への対応として、担任だけが家庭訪問や電話連絡を行ない、たいへんな思いをしている。組織として動くことができていないため、だんだんと悪い方向へ向かっている気がする。このままでいいのか、分からなくなってしまっている。
(紫陽花)
迷いながら
若い担任が生徒を励ましている。友人関係のみならず、家庭での問題も抱えているらしい。聞こえてくる担任の一生懸命で力強い励ましは「正しい」けれど、落ち込んでいる生徒にはさらなる重荷になりはしないかと、少し心配になる。 無責任に突き放すつもりはないけれど、問題の内容によっては助言や励ましよりも「大変だったね」「そうなんだよね」と心からの同調だけでいい場合もあるかな…と思い、自分を振り返る。 「私の意見」は独断と偏見に満ちていないか、自分の考えを押しつけすぎていないか…。かといって、一般的な「正答」を言えば、それでいいのだろうか? 不安になることもしばしばあるが、教育や健康以外の幅広いジャンルにわたって読書をしたり、講演会へ参加して、さまざまな考え方や意見を見聞きすることが、私の需要課題になっている。
(ブラックジャック)
昼の放送スタンバイ
「だめだめ、発音ができてない、『だぢづでど』がはっきりとしていないのよ。上の歯の後ろのところに舌をしっかりとつけて発音してごらん」 そんな私の注文を真剣な顔で聞いているのは、5年生のNくん。休み時間にみせる周囲へのおちゃらかモードをギアチェンジです。 明日の給食時は保健委員会の放送日なので、今日は直前の練習に、ほかのみんなも心なしか緊張しています。再びNくんが作文を読み上げました。 「僕は初めての保健委員で、とてもやりたかったことがあります。それは健康カード配りです。健康カード配りは、みんなの健康を調べるので、この仕事をしっかりやりたいと思いました。僕は保健の放送で思ったことがあります。それは保健の放送はとても大事だということです。その理由はトイレの点検をすれば、学校中がトイレをきれいにしようという気持ちになることです(※いつも委員会の放送でトイレのきれいなところを発表しています)。僕は保健委員になって窓ふきを体験しました。まず雑巾で窓を拭いて次に新聞紙そのまま使って窓をふきます。僕は保健委員になって、いろいろなことを知れてとてもよかったです」 前回よりも発音が明確になり、聞き取りやすくなってきました。「発音がはっきりしてきたよ。とってもいいね。明日の本番はその調子でね」 翌日の放送終了後、ミーティングを開いて学級の友だちや先生方の感想を報告しあいました。出来は上々でみんなの顔は満足げです。おや、Nくんの作文には文章を読む息継ぎのところに何カ所か横棒が書き込んであります。Nくんの意気込みのほどが感じられました。
嬉しかった言葉
友人から「K先生があなたのことを、裏表がないから忌憚なく話ができる人だって言っていたよ」と聞かされた。K先生は以前の学校でご一緒した管理職。執務をめぐって壮絶なバトルや気まずい冷戦状態も経験しただけに、その言葉は嬉しかった。 2枚舌もどきの器用さは「恥ずべきこと」と思っている私にとって、「裏表がない」と言われたのは、最大のほめ言葉と勝手に解釈した。 同僚のS先生と話している時に「先生ってカッコいいねぇ」と言われたのは、昨年のこと。突然のことで照れくさくて「今さら気がついたの?」なんて憎まれ口を利いたけれど、「カッコよさ」はまさに私が目指していたことだったから、本当に嬉しかった。S先生曰く「いつも颯爽としている(せっかちだから早足になる)。バリバリ仕事をする(単に暴走しているだけ)。生徒への指導がすごい(持論を展開して生徒を煙に巻いている)。ファッショナブル(20歳代の頃と体重は変わらないから、何回目か巡ってきた流行に合っているように見えるだけ。着用20年以上のものばかり)etc…」 K先生、S先生ともにテンコ盛りのおまけをしてくれたかもしれないが、その言葉を素直に受け取ろう。これから先、困難な状況に遭遇した時、きっとこれらの言葉が私を元気づけてくれるに違いない。さあ、もうひと踏ん張り!!
(ワルツ)
勤務評定の意味するもの
勤務評定を示す面接が終わった。自己申告で記入する評価書と自己目標シートを作成して事前に提出しなければならないから、その時間もバカにならない。面接では2人の管理職を前にして自己目標への進捗状況を説明し、今後の課題に触れる。次に管理職が私の職務をS・Aと評価したことについて理由を述べた。面接が進むにつれて、前任校とはまったく異なる評価に私は唖然とした。 前任校では面接の際、ある教職員は自己申告で記入した評価の書き直しを指示されて、泣く泣くAをBに変更した。次回には管理職から教職員に対し「全員Bと書いてください」という事前の指導さえ行なわれ、有名無実の自己申告がまかり通っていた。「評価のS・Aは知名度の高い人をいうので、みなさんはBが相当」という管理職の説明には、あきれるほかなく、知名度が日常の勤務評定に結びつくことが納得できないと私は食い下がってみたが、閉ざされた室内では権力の強さがことを決めた。 現在の学校で、私は知名度などまったく関係のない身でありながら、S・Aの評価を得た。思えば、180度の反転である。視点を変えてみると教職員に評価S・Aを与えるような働きやすい職場をつくれるか、評価Bを強いるような働きにくい職場をつくのかは、学校経営の在り方に係るところ大である。教職員の勤務評定は、ある意味で管理職の経営責任の努力を測る評定と言えるのではないだろうか。
「東日本大震災に関して」
幼少期に過ごした岩手県沿岸部。直後は情報が錯綜し、避難生活を送っていた友人もいました。画像をみると私が住んでいたアパートは瓦礫になっていました。私の中にこの大震災を受容しようとする気持ちと幼少期の風景が存在しているという二つの気持ちがあるのだと思います。 「養護教諭としてできることから始める」が私のモットーです。頑張らず、共倒れにならぬよう仲間たちとこの大震災と共に生きていきたいと思います。
(あべまさ)
中学生だって、甘えたい!
中学生だって、きっと甘えたいんだと思います。うちの学校の保健室には、こんな子たちが来ます。 スーッと入ってきて、ベッドにゴロリと転がるYくん。「具合が悪い! 具合が悪い!」と入ってくるKくんは「宿題をしてて、1晩中寝てません。朝食も食べてません」とのたまう。毎日、ちょっとだけドアを開けてあいさつしていくSくん…。みんな、違った形で自分を表現しているように思えます。 朝から具合が悪いのに登校し、すぐ保健室に来たAくんに「お母さんに言った?」と聞くと、「言ってない。早く学校に行きなさいと言われた」とのこと。熱を測り、38℃あったので、担任に家庭へ連絡してもらう。迎えに来たお母さんは「朝から具合が悪いときは言いなさい」とひとこと。でもAくんはお母さんが怖くて言えない様子…。ちょっと考えさせられてしまいます。 中学生だって、親にかまってほしい。そんな言葉も聞こえてきます。
(いろはにほへと)
T先生への手紙
T先生へ 先日、先生から「家庭や本人の問題を抱えた生徒に対し、養護教諭としてどのような援助をしたらよいか?」とご相談されたことについて、もう一度考えてみましたが、私の考えはやはりあのときと同じでした。つまり、私に相談するより、その学級担任に「養護教諭としてどのような援助をしたらよいですか?」と相談するのがいちばんよいということです。 保健室で生徒たちのいろいろな話を聞き、とくに困難を抱えている生徒の力になりたいという先生のお気持ちはよく分かります。先生のお人柄が生徒たちを引きつけて、生徒たちから「話を聞いてよ」という言葉を引き出しているのは確かでしょうが、先生の若さが話しやすさの大きな要因であることも忘れずにいてください。うっかりすると「生徒は(担任よりも)私を頼りにしている」と拡大解釈しがちです。よかれと思って意気込んだ援助や指導は、担任にとって大迷惑になることもあります。 私自身、他校の学級担任から「本校の養護教諭の生徒への関わり方がまずくて、とても迷惑している…」と嘆かれたことが一度ならずありました。 担任は保護者や家庭の事情をふまえて、責任をもって学級の生徒の指導にあたっています。養護教諭は責任をもって保健室執務にあたっています。お互いに協力し合うことは言うまでもないことですが、うっかりすると相手の責任の範疇の、踏み込んでほしくない領域まで、ずかずかと踏み込んでしまっていることがあるかもしれません。善意のつもりのさしでがましさは、困りものです。 最近のT先生は新採当時の不安そうな様子が、たった4年前とは思えないほど、とても意欲的です。しかし、私が同時に危うさを感じているのも事実です。私の勘違いならいいですが…。 「自信」と「慢心」は紙一重です。地味な仕事や勉強をおろそかにしていないか、裸の王様になっていないか、時々は振り返ってみることが大切だと思います。T先生のご活躍に期待すればこそ、忌憚のない意見をお伝えすることが私の先生へのエールということをお汲み取りくださるとうれしいです。
(熊五郎)
駆け抜けた夏休み
4日間の県総体役員、屋久島旅行(シュノーケルが最高!)、泊まりがけの出張、国立競技場でのコンサート鑑賞、またまた、泊まりがけの出張、最後はオペラの観劇。 慌ただしかったけど、元気や暖かい心をもらった夏休みでした。貴重な体験を胸に、2学期からも頑張ります。たまには思いきったリフレッシュも必要ですね。
(ミニミニトマト)
うれしかったな〜
緘黙のKちゃん。Kちゃんの毎日の居場所は、保健室の奥のブラインドの中です。学校でKちゃんの声を聞いた人は1人もいません。ず〜っと苦闘して来た私たち(複数配置で2人います)でしたが、やはり子どもたちのパワーはすごい! と思う出来事がありました。 保健室登校の友だちが、学習室(適応指導教室)へ誘うと、今までは動かなかったKちゃんが、少しずつ学習室に向かえるようになりました。Kちゃんが保健室に出入りするときは、必ずみんなで「いってらっしゃ〜い!」「おかえり〜」と声をかけます。反応こそしてくれませんが、少しずつ、表情が読み取れるようになってきました。 私たち養護教諭2人は、「Kちゃんは私たちの対応をどのように感じているんだろう」と不安でした。「本当は嫌なのに…」と思われていたらどうしようなどと思っていました。 そんなとき、Kちゃんが手紙をくれました。そこには、「学習室に行けるようになってよかったです」などと書いてありました。私たちはその手紙をみたとき、嬉しくて涙が出てきました。 接することが難しいKちゃん。でも、毎日私たちらしくKちゃんに接することで、Kちゃんにも私たちの気持ちが伝わっていたんだな…と思うと、とても嬉しかったです。Kちゃん、卒業まであと少しのあいだ、たくさん思い出をつくろうね。
(きりん組さん)
保健室にあるもの…!?
毎年2年生が1年生を連れて学校探検をします。「ここは保健室です。ケガをしたら○○先生(私のこと)が、治してくれます」などと2年生が一生懸命説明してくれます。 先日、私は「教室にないけど、保健室にあるものってな〜んだ!?」とクイズを出しました。すると子どもが「ベッド〜!!」「おくすり〜!!」「○○先生!! と答えてくれました。 私が「はっ!? 私!? 物? 者? う〜ん」と心の中で思っていると、子どもたちは「そうだよ!! ○○先生だ!」と大盛り上がり。そう、保健室には私=保健の先生がいる…。私がいてこその保健室!! 忙しかったり、落ち込んだりして心が折れてしまいそうなとき、あの子たちの言葉を思い出しています。
(入道雲)
模様替えのヒントをください!
私は大規模校に勤務する養護教諭です。1年に数回、保健室の模様替えをしていますが、途中であれこれ考えてしまって(机やベッド、薬品棚の位置など)、なかなか進みません。全国の養護教諭の先生方、保健室の配置について、こうするといい、うまくいったなどの情報を教えてください。細かい工夫なども教えていただけるとありがたいです。
(メッセージ)
8月号のちゅーりっぷさんへ
転勤のご苦労が大変よくわかります。私も同じような経験をしています。 赴任当初、生徒が勝手に保健室に入り、物を触る、持っていく…。びっくりしました。どんな指導をされていたの? マナーが悪いんじゃない? と思いました。注意してもなかなか伝わりませんでした。だから、少しずつ、生徒との人間関係をつくりながら、入室の挨拶を教え、用事がある時にはきちんと声をかける、勝手に物を触らないなど、時間をかけて指導をしていきました。 また、引き継ぎ書がとても簡単で、分からないことだらけでした。転勤の際にはやはり後に引き継いでくださる先生に、丁寧な引き継ぎ書を用意すべきです。仕事内容は変わりなくても、学校によってやり方がずいぶん違います。 転勤1年目は、どんな小さなことでも、前任の先生がされていたようにしないと、職員から「今までと違う」という声が上がります。だから、できるだけ詳細な引き継ぎ内容があると助かります。また、さまざまな文書類も、きちんと電子媒体で残し、引き継ぐことが大切です。 あと、気をつけたいのが、保健室の期限切れの薬品等の処分です。保健室を管理する者にとっては、最低限のマナーだと思います。個人の私物や掲示物、植物なども、すべて片づけていくのが礼儀だと思います。教員がルールを守らないと、生徒も守れないでしょう。 ちゅーりっぷさん、一緒に頑張りましょう。これだけはきちんと生徒に伝えたい、守らせたいという強い思いを持って…。
優しくしてもいいですよね?
本校には、数年前に外国からやってきた生徒がいます。5教科さえできればよいという国だったので、体育の授業は本当に大変なものだったと思います。 走ったこともないのに、約3kmのロードレース、キャッチボールもしたことがないのにバスケットボール…。それでも、同年代の日本人と同じようにならなくてはと、一生懸命頑張っている毎日です。 ある日、体育のバスケットボールの授業で、ミスをし、バスケ部の生徒に責められ、泣いていました。私を見るなり、抱きついて泣きじゃくりました。 でも、担任は「それくらい乗り越えなさい」と言いました。また、生徒は泣いてしまいました。なんだか、複雑な気持ちになりました。 私は、入学当初から体育の授業を見に行っています。本当に努力しているのを分かっているからこそ、私は受け止めたのですが、私は甘やかしすぎなのでしょうか?
(シリコンスチーマー)
保健室
1年生のAが初めて保健室に来たのは、5月の連休が終わって少し経ったときだった。気分不快の訴えで微熱がある。ベッドで1時間休養したものの軽快せず、早退したいとの申し出があった。迎えにみえた保護者と「疲れが出始めたのかしらね」と話して、見送った。 2週間後に同様の訴えで、2回目の来室。やはり休養後、早退を希望した。「あれ? ちょっと気になる…」私のアンテナにひっかかったが、本人は「気になることも困っていることもない」と言う。保護者に家庭での様子をうかがったが、とくに変わったことはないとのこと。 しかし、その後も数日おきに来室し、その回数が1カ月で5回になったとき、いつものように検温しながら学校生活や友だち、部活動の様子を聞いたところ、返事がなく沈黙が続いたあと、鼻をすすった。そして、意を決したように話しだしたのは、やはり1人で抱えていいた悩みについてで、解決はなかなか難しそうだった。 「大変だったね。どうしてもつらいようなら、いつでもここへいらっしゃい。そのときは『気持ちが悪いです』ではなく、『ちょっとつらいです』って言っていいんだよ。ベッドの周りをカーテンで仕切れば、落ち着けるかもしれないからね」と伝えると、Aは少しほっとしたように、初めて早退を口にすることなく、授業に戻っていった。 生徒が困っていることについて、必ずしも有効な助言ができるわけでも、また必要なわけでもないが、彼らに寄り添うことと気持ちを落ち着かせられる場所を提供することはできる。保健室ってそういう場所だなあと、改めて思う。 悩みが解決したのか、あるいはほどほどに折り合っているのか、それとも緊急避難場所があるという安心のためか、幸いなことに、あの日以来Aの来室はない。
(お銀おねえさん)
養護教諭にも休憩は必要…
「お手洗いに行っている間に大捜索され、どこにいても必ず連絡がとれるように要求されている」とのことでしたね。期待されるのは悪いことではないけれど、これは良くないと思いました。養護教諭だって、休憩が必要。トイレにも、郵便局にも行くし、出張にも出かけます。一分一秒も早く手当てをしなければならない心肺停止や大出血のときに、応急処置をせずに、養護教諭の到着をひたすら待つのですか? おかしいですよね。 だから、救急処置は生徒自身や居合わせた職員が最低限できるようにするという意識づけが必要だと思います。校内の救急体制の中に、養護教諭不在時の体制を明示するという方法もあると思いますよ。近隣の養護教諭に聞いてみてはどうですか? 北風さんが感じたことを管理職や職員にうまく伝えられるといいですね。応援しています。
(えみなん)
北風さんへ
私の学校は複数配置ですが、長時間保健室から離れるときは、それぞれ個人の携帯電話を持って出ています。 保健室用の携帯も1つ、学校から渡されていますので、付き添って病院へ行く際や修学旅行の際に使用しています。 でも、すべての危機に養護教諭が対応しなくてはいけない、というのはどうかと思います。養護教諭だからといって、医療行為をするわけではありません。応急手当てなど、誰でもやれることはあるはずです。北風先生が私用でやむなく休まれることだって、たまにはあると思います。そういうときはどうしているのでしょう? 最近は現職教育でAEDの使い方なども、教員が講習を受けていると思います。私の学校では、養護教諭がいなくても、応急手当てや家庭との連絡、病院への搬送もやっています。学校内の緊急時の対応マニュアルもつくっています。簡単な応急手当て、校内での連絡方法、近隣の病院の紹介などを載せて、独自に作成しました。 私は病院勤めの経験もありますが、医師がPHSで呼ばれることはありましたが、おそらくどういうときに呼ぶというのが、ある程度決まっていると思います。科によっても事情が違うと思います。管理職の意識、というのが大きいですよね。私もいろいろな意味で壁にぶつかることは多いです。お互い、頑張りすぎず、頑張りましょう!
(アンマンマン)
養護教諭の空き時間
養護教諭は銀行・郵便局に行きたいときがあっても、長期休暇を利用するしかありません。食事中でも呼び戻され、食事ができないこともしばしばです。もちろんお手洗いも。膀胱炎にも何度かなりました。 でも、きっとこういう思いは、養護教諭なら仕方がないこと…と思っていました。 しかし、先日、管理職から言われたことがあります。それは、学校でケガが発生したときのことです。私は通常、席をはずすときは、安全上「職員室に行っています」などの札をドアに掛けて、必ず部屋の鍵を閉めています。 たまたま、そのときは札を掛けずにお手洗いに行っていました。5分もかかっていませんでしたが、部屋に戻ると、ケガをした生徒が泣きながら1人で座っていました。話しもできない状態で、ひたすら泣くのみ…。しばらくして、ほかの教員が来て、「みんなで私を大捜索していた」とのこと…。ケガの生徒には誰も付き添わず…。 結局、ほかの教員が来たことで状況が把握でき、すぐに病院に連れて行くことができました。対応が十分ではなかったので、生徒にはかわいそうな思いをさせてしまいましたが…。 その後、管理職からは「いつも必ず連絡ができる状況にするか、どこにいるかが分からなければいけない。PHSを持たせたほうがいいのか?」と言われました。「お手洗いに行っていても」「会議中でも」…。 危機管理から言えば、当然かもしれませんが、医師のように「どこにいても連絡がとれる」というレベルまで養護教諭は期待されて、それに応えられるのか? 疑問に感じる点もあります。
(北風)
保護者に伝える
「前に来たときと同じような症状で…」と言って、Aが来室した。来室記録カードには、この3カ月で「頭がズキズキして痛い。眼もチカチカする」という訴えが、既に3回記録され、その都度保健室で1時間の休養をし、早退もしている。2回目の来室時は、前日に同様の症状のため欠席したが、症状が治まっていないこと、受診していないこと、再度受診の勧めをしたことなども書いてある。 そして、今日は4回目の来室。念のため確認したが、心配した通り未受診。Aは1時間の休養を希望しているが、症状が出ているときこそ受診のチャンスだと思い、保護者に連絡した。今までの様子と本日の受診をお勧めしたが、「少しのことですぐに具合が悪いって言うんですよ。1時間休ませて良くならないようなら、一人で家に帰るように言ってください。迎えには行けませんから」との返事。 受診を促されていたことは、承知しているようだが、それ以上のやり取りは意味がないと思い、「同じ症状を繰り返しているので、心配しています。機会を見て、一度受診されることをお勧めします」とだけ伝えた。 この例のように同じ症状を繰り返す場合、あるいは来室のたびに主訴は異なっても頻回来室の場合は、子ども本人だけでなく、保護者にも必要な助言をしなければならない。 保護者が子どもの明らかな体調不良を承知しつつ登校させ、結局早退させることになった場合は、お迎えに来校されたときに、早期休養(受診)が早期回復につながること、本人のためになるというだけでなく、他の子どもに及ぼす影響にも言及するとよい。特にかぜなどの流行時期には、体調不良者の対応だけに気をとられているわけにはいかない。 助言に心をとめる保護者ばかりではないのは残念だが、全校の児童・生徒の健康を守る専門職として、保護者に対して言いにくいこともきちんと言うことは、養護教諭の重要な職務として、心したいと思っている。
そんな先生、いたかしら?
職員室の隣の席は、1年生の学級担任S先生。いつも静かで落ち着きのある方でした。あるとき、S先生が過去に歴任した小学校のことに触れて、当時の養護教諭の話に及びました。 あまり良い印象はないとみえて、嫌悪感をもらされたので、私は返答に困り、お茶を濁してその場をやり過ごしました。その後、その養護教諭と会う機会があったので、何気なく「以前、S先生と一緒だったそうですね」と話しかけると、「えっ、そんな先生いたかしら…。いませんでしたよ。そんな名前の先生は」と、即座に否定されたのでびっくりしました。決してぼけているわけでも、うそぶいているとも思えませんでした。 その後、私は転勤して、他校に移り、半年が経ちました。しばらくするとあの返答の意味が理解できるようになってきました。前任校を思い出すとき、S先生の存在はもはや薄れかけていました。職員室の席は隣どうしで、ときどきは談笑していたというのに…。なぜでしょうか。 思い返してみると、職員室でのS先生は、いつも中庸を旨とし、多数派に属していることがほとんどでした。自分の考えというものをはっきりと表すことはほぼなく、ましてほかの教師と意見を違える場面などを目にしたことはありませんでした。いつもいい人であり、何でもみんなと同じを是としていました。S先生は嫌悪感を抱かせることもなく、私の記憶の中で埋もれてしまったのかもしれません。 職場でのリスクは少ないでしょうが、他人の記憶に残ることも少なかったのだと思います。そんなS先生の口癖は「私、友だちがいないの。先生はいいわね。たくさん友だちがいて…」でした。
保健室の役目
来室者に来る生徒の内科的訴えには、背景に悩みをかかえていることによる場合も少なくありません。注意深い観察で、それと分かったときは少しずつその悩みを聞き出しますが、私の場合に限って言えば、彼らがそれを話すのは「私」だからではなく、保健室が「話せる場」としての条件が整っていることによるのだと思います。 つまり、「自分の悩みを聞いてくれる大人はいるが、ほかの人に聞かれる心配はない」ということです。そして、そこが保健室だから手続きとして「体調不良」を訴えます。 話してくれたことにアドバイスをしたり、ときには聞き役に徹するなどして、彼ら自身が解決策を考えたり、折り合っていける道を探る手助けをすることで、新たな「不登校生徒」を生まない予防策を講じることは、保健室の重要な役目ではないでしょうか? 教室には入れないが登校できている生徒は、保健室以外の部屋でほかの教員でも対応できます。しかし、気持ちが不安定になっている生徒の中には、意識せずとも、自分が不登校にならないための応援や励ましがほしくて、保健室に入って来ているのかもしれません。 保健室の機能は実に多種多様です。最優先させるべき保健室の機能を、もう一度きちんと考える必要があると思います。
(山姥、参上!)
彼がケガから得たもの
本校は生徒数が約980名の高等学校です。大規模校ですが、保健室は養護教諭1名で対応しています。毎日、保健室にはケガ・体調不良・相談・何となく…などを理由に多くの生徒が来室します。 正直なところ、1人では限界だ…と思うこともありますが、体育中のケガの場合には体育の先生が様子を見に来て、生徒の話を聞いてくれますし、学年の先生に対応してもらえそうなことはお願いするなど、何もかも自分一人でやろうとせず、他の先生に頼めることは頼み、助けてもらえることを素直にありがたいと思えるようになりました。 どんな状況であっても、生徒には自分の状況・状態を自分の言葉で説明できる人になって欲しいと思っています。だから、対応に追われていても、時間をかけて話をききたいと思っています。 さて、2年生の男子生徒。1年生の時は、欠席も多く、進級できるか心配だと学年の先生から聞いていました。保健室にはほとんど来たことがありませんでした。無事に2年生になりましたが、担任から「彼は辞めるかもしれない」と聞かされました。その後は何とか登校していました。 ある日の体育の授業中に顔面を深く切ってしまい、保健室に来ました。大きな傷のわりに、彼はとても落ち着いていました。傷の状態から縫合が必要と判断し、担任に病院に連れていってもらいました。 そのあと、母親に来てもらい、病院から戻ってきた彼に担任・体育の先生を交えてケガの状況を説明し、今後の処置などを確認しました。大きなケガだったにもかかわらず、彼はとても落ち着いていたこと、彼の冷静さ、我慢強さをを母親に伝えました。 彼はその後、通院することになり、病院での出来事を保健室に来て話すようになりました。保健室に来る彼と話すことが私自身も楽しみになり、彼もいろいろな表情をみせてくれました。クラスメートと来室することもあり、友人関係を知ることもできました。「それなりに楽しそうに学校生活を送れている。もう大丈夫だろう」。私だけでなく学年の先生方も同じ思いでした。 夏休みを過ぎると、彼は保健室に顔を見せなくなり、心配していました。ある日の昼休みに久しぶりに会うと「先生、保健室にはもう行けなくなったよ。欠課が多くなってきたから、ちゃんと授業出るよ」とのことでした。今までは学校を続けられるかどうか…だったのに、「ちゃんと授業出るよ」という言葉を嬉しく思いました。彼の表情・姿勢は、前を向いて進んでいこうというものに変わっていました。 これは、私の推測ですが、ケガして担任や体育の先生が心配してくれたこと、強面でちょっと恐れられている担任が一緒に病院に行き、面倒をみてくれたこと、家庭で寂しい思いをしていたこともあったけれど、母親が心配してくれたこと、気軽に保健室を利用していたクラスメートと仲良くなり、学校のなかに保健室という居場所を見つけたことなど、彼はケガをしたことで「人の優しさ」に触れられたのかな…と思っています。今は大学進学も考えているそうです。 さまざまな場面で養護教諭として、これで良いのか…自分の職務に悩むことがあります。傷の手当て、体調不良者への声かけ、生活面の指導など、私の行なうことは目に見える形で残るわけではないけれど、生徒たちが状況に応じた対処ができるようになり、安心感・優しさなどを体験して、その体験をまわりの人に返してくれればと思っています。 生徒が学校生活のなかで体験することは、今後の生活につながるので、私もさまざまな場面で、丁寧に生徒と真剣に向き合っていかなければと思います。
(キラキラ)
おかげさま
複数配置がスタートしました。おかげさまでこちらがモタモタしていると、もう一人はテキパキ。とにかく何かあると話し合うことができるので、助かります。年齢が離れていることが、良かったのかもしれません。若い養護教諭の方から、大いに学びたいものです。
「我慢の子さんの意見について」
我慢の子さんの意見について、私も日頃思っていることがあるので、投稿しました。本校や近辺の学校の名簿でも、やはり「養護教諭」が「教諭」の下にきているものが多いです。それは「人間の差別」のように感じますが、実際は単なる「職業の区別」だと思うのです。養護教諭は授業を教えるわけでもないし、学級を担任することもないので、やはりその特殊性から「養護教諭」は「養護教諭」という名前で良いと思うのです。「教諭」と同等に思われるかどうかは、名前云々ではなく、養護教諭個人の人格や力量が大きくかかわっていると思います。ほかの教諭より学歴が上だったり、リーダーシップがあったり(実際、養護教諭から管理職になった人もいますし)、そういうことが、周囲の見る目を変えるのではないかと思います。
(三寒四温)
「我慢の子」さんへ
養護教諭になって31年目です。私は、養護教諭は天職だと思っています。正直、投稿内容にびっくりしています。その県・市の様子は分かりませんが同じ養護教諭として、このようなところがあることが残念でたまりません。こんなに養護教諭の立場は改善されてきたのに…。 私の県では、私が採用になって2〜3年経った頃、職員名簿を年齢順か号棒順にという養護教諭の職員運動がありました。そのとき、まだ若く、どちらの場合でも最下位だった私は「何を名簿ごときで」と思っていました。そこには、養護教諭の地位向上への諸先輩型の熱き思いがあったことを、後で知りました。その当時でさえ、3分の2の県で、すでに改善されていたように認識していたのですが…。 現在、一度も「我慢の子」さんのような思いは経験なく、健康教育の要として思いっきり仕事ができているのも、数々の先輩方の努力の功績だと思っています。 どうか、我慢しないで職制運動をされてはいかがでしょう。欧米では、日本の「ヨウゴキョウユ」(固有名詞になっています)が脚光を浴び、役割が注目されている昨今です。どうか後に続く後輩たちのためにもがんばってください。
(ラベンダー)
「養護教諭」の名に思う
学校において健康の大切さが叫ばれ、養護教諭の役割は大きいと様々な場所でいわれています。でも、各学校でどんなにがんばっていても、その地位は、教諭が上で、養護教諭は下であるかのような扱いを受けています。 本校では、各印刷物の職員紹介欄(卒業文集では養護教諭が「事務のみなさん」の欄に書かれています)や連絡網、ロッカー、下駄箱などなど…あらゆる面で、養護教諭の名前は、新採も含めたほかの教諭のあとに並べられています。 こんな現状のせいで、子どもや保護者、さらに職員までもが、私たち養護教諭を教員だと思っていない傾向が見られます。 私たちは、ほかの教諭と同等です。辞書には養護教諭について「学校保健の専任教員である」と書かれていましたが、まったくその通りです。教諭に国語や社会、音楽、美術などと専門分野があるように、学校保健もそのひとつなのですから。 養護教諭がほかの教諭と同等に学歴があり、なかには専修免許を持って現場に出てきても、その職場におけるあまりの格差に、しだいにやる気をなくしたり、つらさから病気になったりして、退職してしまう人もいます。この現状を打開していく必要があると思います。 私自身にしても、これまで40年近く養護教諭をしてきたなかで、子どものために必死になって、自分の体や家庭を犠牲にしてきたことが報われない思いを感じることがあり、本当に残念です。 だからこそ、これからは職種を「養護教諭」という名前ではなく、ほかの教職員と同じ「教諭」に統一し、専門を「学校保健」とするのはどうでしょうか。そうすれば、どんな場面でも差別待遇を受けることもなくなってくるのではないかと思います。 退職したあとにも、「“教諭”ではなく“養護教諭”だった」として、差別的な認識をされ続けるのは、耐えられません。
(我慢の子)
自分をたいせつに
いま、保健室ではインフルエンザ、ノロウイルスなど冬の感染症により体調がすぐれない子どもたちがたくさんやってくる。 朝から、来室があるときにはなぜ??と思いつつ、笑顔をたやさずかかわっているが、こんなにも子どもたちの「家庭の事情」について、疑問に思うことがある。 朝から、熱が37度後半であるにも関わらず、学校が好きで頑張って登校してきたAくん。中休みにはさすがにダウンし、保健室にきたときには38度後半。担任もよく頑張ったと激励していたが、私の立場からいわせれば、なぜもっと自分のからだをいたわってあげないのかなと思う。急いで家庭に連絡。しかし、午前10時すぎから連絡を取り続け、やっとつながったのが夕方16時。 私は、その間にAくんが熱で苦しそうにしている様子をみながら一日中一緒にいてとても気をつかい、夕方ころにはどっと疲れがでていた。留守電にメッセージを残しても、反応がない。「今日お母さんはネイルの日でおでかけしているかも…」とAくんは遠慮がちにいう。 ようやく、電話がつながり「うちの子大丈夫ですか?」とのんきに話してくる母親。保健室を預かり所と勘違いしているのでしょうか。迎えにきたときAくんは、「迎えに来させて、ごめんね」と母親の様子を窺っている。熱のときには、お母さんに甘えていい。謝ることなんかない。もっと、自分の体をいたわって、大切にしてほしい。親子の背中をみながらそう願う私でした。
目は口ほどに物を言う
風邪のため、最近の私はマスク着用で生活中。でも、マスクをつけていると、表情が分かりづらいですよね。それに、マスクをしていると表情が凝り固まるような気がします。なので、私は眉と目の体操を毎日するなど、表情が豊かになるよう、努力していました。 先日、ある研修会で、発表された先生が研修後に「先生が熱心に温かいまなざしで聞いてくださっていてうれしかったです。ありがとうございました」と、わざわざ声をかけてくださいました。初対面の方でびっくりしたのですが、私のほうがうれしくなりました。よ〜し! 眉&目の体操、つづけるぞ〜!!
(スマイリー)
ほかの職員との関係について
担任や管理職からのさまざまな要請の多くを笑顔で受け入れようとするなら、いくら時間があっても足りません。意欲はあっても、物理的に不可能というものです。 何でも「養教の先生、お願い!」と言われると、「頼りにされているんだ」と、ある種の快感やときには大いなる勘違いがあるかもしれません。まずは軸足をしっかりおいて、養護教諭にしかできないことを優先し、ほかの教師にかわりができるもの、もしくは本来の係の教師がそれぞれ役目を果たすよう、申し出をしたほうがよいと思います。 前任者が「個人の好意」で「気軽」に引き受けた仕事が、数年経って自分にバトンタッチされたとき、自分以外のみんなが「養護教諭の仕事」として認識しているものについて、「それは違う」と訂正するのに途方もないエネルギーを費やした経験を持つ養護教諭は少なくないでしょう。 たとえば教職員の心身の健康管理については、精密検査が必要な人にはその旨キチンとお知らせし、再受診をおすすめします、元気がないように感じたときは声をかけ、「愚痴を聞いてよ」と言われれば聞き役にもなりますが、長引く気配があれば、管理職に配慮を促します。私ができるのは、そこまでです。養護教諭として、同僚として心配しつつもなかなか再受診しない、要精密検査者に繰り返し受診を勧めたり、深刻なストレスの原因やその解決に積極的に関わるべきは、全職員の健康管理の責任者である管理職の仕事だと思います。 また、教員評価制度に萎縮して、納得できないことを丸呑みするようなことは決してすまい、とも思います。「○」の評価を得るために、自分の健康と家庭を犠牲にするつもりは毛頭ありません。わがままで自分勝手でしょうか?
(ライオン丸)
姪っ子の夢
「大きくなったら保健室の先生になる!!」小学校2年生の姪っ子が私に言いました。入学してから私に会うたびに、何かと「保健室」を話題にする姪っ子。私が保健室の先生であることを知っているので、話はいつもヒートアップ!! 最後はいつも質問攻め! よっぽど姪は学校の保健の先生が好きなんだろうな〜と思いました。 お正月にお年玉をあげたところ、おばあちゃん(私の母)に「そのお金は○○(私のこと)が、きついことやつらいことがあっても、一生懸命に働いたものだよ。大切にしてね」と言われ、心配そうな顔になりました。母は「大切に」を伝えたかったのですが、姪っ子は「きつい? つらい?」とたずねるのです。私は「あらら!? ○○ちゃん(姪)のとこの保健の先生は、いつもどんな顔してる?」と聞くと、「笑ってる…」と答えました。私が「きついときもあるけど楽しいよ〜」と言ったら、「私もだ〜い好き!」と抱きついてきました。姪っ子に夢を与えたステキな先生…ありがとう。本当に感謝です!
私にも回してください、回覧板
回覧板を手に3年の主任がふっと言った。「国語とか算数とか教科の回覧は、先生には関係ないですよね。パスしてもいいかしら…」 またか…。と心の中で小さなため息をついた。言葉に毒気がないのは、ふだんの彼女の態度から分かっているのだが、教員の一員ではないことを烙印された気持ちになった。学校生活全般から保健教育を見つめ、子どもの心身の健康全体を捉えたいと願う私の気持ちは、こうして職員室でくじかれる。 しかし、言葉をかけられるだけ、まだましである。前任校などでは事務官と養護教諭は始めから回覧板に斜線を引かれていたこともある。いったい、教職員なのか、行政職なのか、赴任する現場によって、大きな隔たりがある。職員会議中に学力テストの話題になり、教頭が平均点の資料を配布した際、養護教諭と栄養士の前を通り過ぎたのにはあきれてしまった。二度も繰り返されて、私は「資料をいただけないのなら退席させていただきます」と申し出た。やっと保ち得た私の矜持だった。今までも、そしてこれからもずっと続く養護教諭の道。「あてにしない、期待しない、あきらめる」が私の拠り所となった。
ベッドの片づけから思うこと
保健室のベッドで休んだあとの子どもたちの様子はさまざま。「先生、この布団を片づけますか?」と聞いてくるのはいいほうで、こちらが黙っていると体がすっぽり抜け落ちた形の掛け布団を残したまま、教室に戻ろうとしたりする。使った布団や毛布を片づけるよう伝えると、おり紙でもおるように毛布をたたんだり、はたまた「どうやって片づけるの?」と、戸惑う子どももいる。 思わず出てしまったため息を隠しながら、「布団をたたんだことないの?」と聞くと、「家ではマットレスのベッドで寝ているから、たたみ方が分からないと言う。確かに自分のベッドでは布団や毛布を整えはしても、たたむことはないかもしれない。しかし、生活経験の中で、そういうことを学ぶ機会はなかったのだろうか? 思い返すとベッドの片づけだけではなく、彼らの行動に驚かされたりショックを受けたり、ときにはギョッとさせられる場面にもいくつも出会っている。大きく変化している生活スタイルの影響が、少なからずあるのだろう。 未経験だったことを経験させ、彼らが成長するのに手を貸すのが、大人の役目と心得て、家庭と学校、それぞれの場でサポートしながら、彼らの成長を楽しませてもらおう。
(ふきのとう)
養護教諭の仕事
養護教諭がほかの教員とは大きく異なるのは「他人様のお子さんの "命" をあずかっていること」だと思います。 教員が授業でミスをしても、翌日訂正すれば済みますが、養護教諭のミスは命にかかわる場合があります。子どもたちのためと考えるなら、やるべきことは「養護教諭の資質を高める」ということに尽きるでしょう。 言い古されて、今なお呪文のように吹き込まれる「のりしろ」や、こちらの一方的な思い込みにすぎないかもしれない組織頼みのために費やす時間を、養護教諭としての勉強に振り替えるべきだと思います。「何があっても、あの養護教諭にまかせれば大丈夫という信頼」こそが、養護教諭の真骨頂だと思います。 凛として仕事をしていれば、誰にこびなくても必要な人間関係はしっかりつくれるし、必要な情報ももれなく入ってきます。 ほそぼそとした雑務を積極的に引き受けて、管理職や同僚に重宝がられても、来室者の傷病についての正確な判断をするのには、何の約にも立ちません。 前任者が個人の行為でやっていた雑務が、いつの間にか「養護教諭の仕事」として位置づけられてしまい、転任後の最初の仕事はそれらを元の状態に戻す闘いだった、という憤りの経験をお持ちの養護教諭は少なくないはずです。そして、それに費やさなければならなかった時間やストレスが、勉強時間確保の妨げになったのは想像に難しくありません。便利やもどきの引き継ぎは、後任者に多大な迷惑をかけます。 組織の一員として協力することは当然ですが、学校全体の「組織力の向上」という大命題は、管理職の仕事です。養護教諭がその先頭に立たんばかりの意気込みは、僭越というより滑稽にすら思えます。 繰り返しますが、養護教諭は「子どもの命を守る厳しい仕事」をしているのです。
(南町奉行)
校内研修について
「養護教諭の職務は何か」と考えたとき、常に子どもとともにいる自分の姿が思い浮かびます。救急対応はもとより、心身ともの健康相談活動、保健室をより機能的に運営するためのすべての取り組みが養護教諭に課せられる職務の第一だと考えています。 ほとんどの学校では、校内研修システムがあると思いますが、養護教諭としてどのような関わり方をされていますか? 地域によって、学校によって、研修における養護教諭の扱われ方はさまざまかと思います。 現任校では低学年部会と高学年部会に分かれ、一般教諭はすべてがいずれかに所属しています。正直なところ、私はこの類の研修が苦手でできれば避けて通りたい、研修のある日は時間年休でもとりたい…などと消極的でした。その理由として、国語や算数などといったテーマを教科に絞った研修計画の中に、養護教諭という立場の自分の居場所がない、ということがありました。 ほとんどの先生が年間を通して研究授業をされ、指導案から授業の進め方に至るまで、その都度部会で入念に検討されていますが、その場に自分がいて、授業を見せてもらっても「姿勢が…」「照度が…」など、毎回ありきたりのことしか言えず、「意見をふらないでください」と、司会の先生にお願いすることもありました。 異動して来た昨年度は、低学年部会に入っていました。今年はどの部会にも配属されていません。その意図は不明です。私から「外してください」とお願いしたわけでもなく、「研修担当の先生が気を回してくださったのだろう」とあえて思うことにして、部会研修の時間も保健室で自分の仕事をしています。全体研修のときは参加していますが、いるだけです。 先日、「先生はどうして部会に入っていないのですか?」と私よりだいぶ若いいい先生に聞かれました。その先生は「養護教諭は全体の子どもを見る立場の先生だから、授業とかどんどん見に行ってください。そして、担任には見えにくい、子どもたちの一面を探して教えてほしい」と、言われました。また「研修の内容によっては難しい立場ではあるけれど、養護教諭も教諭だから部会に入っていないのは逆に変」と夫にも言われました。 授業を見せてもらうのは嫌いではありません。指導案も何も持たずに、手ぶらで授業参観の親の気持ちで子どもたちの様子を見せてもらうことはこれまでもしてきました。部会という集まりから外されたことには、安堵と寂寥感が入り交じったような複雑な気持ちになりました。 昨今、健康教育や保健学習など養護教諭にも、教室での指導技量の必要性を感じます。が、実際そういう場面になると「お任せします」と丸投げにされがちなので、一般の先生方が部会の中で、されているような教材研究には至らず、手前味噌の指導で終わってしまう傾向も否めません。 まだまだあと10年はこの仕事をがんばらなければいけないので、このまま逃げてばかりではいけないと思っています。校内研修に養護教諭がうまく入り込むノウハウを教えていただければ幸いです。
(森の猫)
感染予防について教えてください
いつも「健」を執務の手引きとして愛用しています。今回お便りを出したのは、保健室での感染予防についてです。久しぶりに小学校勤務になってみて、下着を汚す子や嘔吐する子が多いのにびっくりしています。いつもは、下着はバケツで粗荒いをしてから(その際は使い捨て手袋を使用)、洗剤とハイターを使って洗濯機で洗っています。私はこの方法をずっと行なっていますが、洗濯の際の注意事項などがあれば教えてほしいです。この時期、感染症が広がらないか心配です。
(どんぐりこ)
保健室登校をしている、南ちゃん(仮名)
南ちゃんは、発熱で一週間ほど欠席してから、学校にこれなくなりました。原因が分からない中、保健室なら行けるというので、1カ月前から保健室登校が始まっています。南ちゃんは、表情が乏しく、言葉も少なく、自分の気持ちを言葉にするのが苦手です。友だちも限られていて、時々話す声もそれはそれは小さなものです。 いろんな保健室登校児を抱えてきましたが、今回は私との関係づくりと緊張ほぐしから始めました。時間を見つけて一緒にお散歩したり、私の手伝いをしたり…。保健室に飾る小物づくりは、結構楽しんでいました。慣れてきたところで、自分の心やこれからを、絵や言葉でノートに書き出す遊びをしました。 @「好きなこと、いやじゃないこと」A「どっちでもないこと」B「いやなこと、嫌いなこと」とピンクで書いたハートの中に、言葉を書き込んでいきます。声に出して言えないことも、一緒に書き出していく中で整理されていくようで、南ちゃんの苦手なことは、集団の中にいることだということが見えてきました。 次には、なりたい自分の姿を書く作業。かわいく書いた自分の似顔絵の横に、なりたい姿を書き込んでいきます。いつかは教室に戻りたいこと、勉強が遅れることが心配なこと…。切ない思いと葛藤が浮かんできました。 今は、なりたい自分に近づくためのステップを踏んでいる段階です。少しずつ、時には後戻りしながら、なりたい姿めざして短時間ずつの教室通いをしています。困った時の「ムリだよサイン」のポーズも決めています。 まだまだ先は長いでしょうが、南ちゃんのご家族共々がんばっています。一緒に笑ったり困ったり…。この醍醐味、やっぱり養護教諭はやめられませんね。
「大人になって良かった?」
私は高等学校の養護教諭です。卒業の見えてきた3学期に入り、先日3年生が「先生、大人になって良かった?」と、ぽつりとつぶやきました。 でもすぐに、「先生は好きな仕事に就けたから、良かったよね」そう言って教室に戻ってしまいました。 世の中、毎日こころを暗くする様なニュースが流れ、内定取り消しは、なかったものの例年以上に厳しい就職状況を突破してきた3年生たち。 社会に出る喜びの前に不安が立ちはだかっているようです。冒頭の問いにこたえるべく、ほけんだより2月号に3年生への応援メッセージを載せることにしました。他の先生方にも呼びかけたところ、10数名の先生方もメッセージを寄せてくれました。メッセージのいずれかが、子どもたちの不安を払拭できるといいなあと願っています。
(まる)
特別支援コーディネーターとして
特別支援コーディネーターと、就学指導を担当している小学校の養護教諭です。児童数は400人程度ですが、支援を要する児童が多く、日々先生方との相談や、関係機関との連絡調整、ケース会議、保護者との面談にあたっています。保健室の執務や、環境整備など、養護教諭としての本来の執務ももちろんあるのですが、特別支援にあたらせていただくようになり、児童のさまざまな実態を把握でき、個別の指導も考えられるようになり、勉強になっています。特別支援は、一人ひとりにあった支援の方法を、一生懸命考えていく養護教諭の執務と重なることが多いと実感します。 また、児童や保護者の対応で、心を病みがちな先生方の相談にのり、一緒に考えていくことで、担任は一人きりでないという安心感も持ってもらえればとも思っています。 人にはそれぞれ考え方があるので、他校の養護教諭には、「何でそんなことまでやるの?」と言われますが、こんな貴重な体験をさせてもらえている自分は、とてもラッキーです。これからも、多くの子どもたちや保護者、先生方の、よき相談相手になれるよう、力をつけていきたいと思います。
(すもも)
管理職の保健室訪問は?
「他校ではどうなの?」と聞いてみたいことのひとつは「日常的に保健室を訪れる管理職はどのくらいいるのか」ということ。というのは、今までいくつもの学校に勤務したが、管理職が校内を歩いて授業の様子や生徒の様子を見回ることがあっても、保健室に立ち寄って生徒の様子を見たり、あるいは来室者の様子を聞かれたことがな く、気になっていた。 そこでこの4年間、管理職との面談の際には必ず、このことを伝え、保健室に立ち寄るよう促してきたが、たった一度の来室もない。ある年には「具合の悪い生徒がいたら、邪魔になって悪いかなと思って…」と来室しない理由(言い訳?)を話されたので、すかさず「そういう場合はお伝えしますが、ほとんどの場合は問題ありません。保健室での生徒の様子をぜひご覧ください」と返したのだが…。 「管理職が保健室に来なくてもいい(来てくれないほうがいい)」と考える養護教諭もいるかもしれないが、一任職だからこそ、時には他者の感想を聞くことも必要と思う。それに加えて実のところ、管理職がこちらからの報告を受けるだけでなく、たまには自ら生徒に関する情報収集をしたら? と、チクリと言いたい気持ちもある。さて、お宅の学校ではいかがですか?
(プリティ・ウーマン)
メガネ
「とげがささった!」といって保健室に来た子に「メガネ」をはずして、トゲを見つめていたら、「先生何でメガネはずすの? メガネをかけたほうがよく見えるんじゃないの?」と言われ、「そうだね、だけど私のははずしたほうがよく見えるのよ」と言うと、「ふぅん」と言ったので納得したのかと思いきや、ひどい一言。「そういえばおばあちゃんもそんなふうにしてたよ」…あなどれない。
子育てで伝わるもの
あるお父さんとの会話です。つい先日、若いお父さんとお話をする機会があり、その方がつぶやいておられました。 たまの休みに子どもさんの登校を見送るときがあり、子どもの友だちに「おはよう!」と声をかけてもあいさつを返してくれないので、顔をのぞきこんで「おはよう」というと「おはようございます」とかぼそい声で返してくれたそうです。 この方はまだ31歳で、5年生と3年生の男の子のお父さんです。礼儀には厳しくされていて、「しつけはきっとこの子のためになる」と言われていました。自分も父親にそうしつけられたのだと。家庭の教えはそうやって受け継がれていくものだと話されていました。 きっといい子育てができていると思いました。
(夕焼け子やけ)
ケガに注意!!
夏休みの終わりが近いある日のこと…。大きな行事を終え、ホッとしていたところ、駐車場で、前触れもなくつまづいてこけてしまって、顔をすりむき、打撲。ひざもすりむき、打撲。黒のストッキングが破れている。コンクリートの地面。そりゃあ、痛いわ。サッと起きあがって車に乗り込み、鏡を見たら、顔が腫れて血が出ている…。アイタタタ。鼻の骨、折れていないよね? 痛いけど、我慢はできる。家に帰って、横になって冷やそう。 しゃべれる、食べれる、テレビ見れる。安静にして、冷やしながらケータイで気を紛らわす。夏休みだから休みを申し出やすい。あせらずにじっくり治そう! 数日経っても、痛くて辛くて外出できない。受傷後5日目にようやく受診。行った先は形成外科。慣れたら平気だが、私は人見知りする。初診のときに、処置が丁寧で「はい」と深くうなずいて、話を聴いてくださる医師に安心感を覚える。医療や看護 の原点を思う。 すりむいた部位は遮光しないと美容の敵。色素が沈着しやすい、つまり「シミ」になりやすいそうだ。皮膚が赤い3〜4カ月は、紫外線対策に気を配り、化粧も厚くしようと思った。 9月1日。二学期が始まる。顔とひざにガーゼとテープを貼って、出勤。生徒に「どうしたんですか? だいじょうぶですか?」といたわってもらう。優しい人たちね…と、泣きそうになる。 職員会議では「9月の保健目標は『ケガの予防』です。こんな私が言うのは何ですが、ケガをしないようにしてくださいね〜」とアピールした。
(ひかり)
話し声のボリューム
現在、小学校に勤務しています。前任校とは違って、現在の職員室は明るく楽しい雰囲気です。同僚の先生方は、保健室にも理解を示してくださいます。放課後、ときには楽しいジョークを交わしながら仕事ができていました。 ところが、今年度、赴任してきた先生2人は、放課後になると大声でうるさく話し出します。そのうちの1人は、常に会話の中心になりたいようで、ほかの先生が話しているところに割り込んで自分の話をします。自分たちは好きなだけ大声でおしゃべりをして、「どれ、帰ってから仕事をしよう」と退勤されたときは、ほかに仕事をされている方に失礼ではないかと思いました。 昨日の放課後、例によって2人が大声で話していたところ、ほかの先生に保護者から電話がありました。狭い保健室、電話がかかってきても声を小さくするなどの気遣いはなく、気になったので「電話がかかっているときは静かにしませんか?」と、思わず言ってしまいました。2人とも、まずいと思ったのか、小声で話し出しましたが…。 今朝、私が出勤したときには、すでに2人とも出勤されていて、変わらず大声で話していました。私が「おはようございます」と言っても、あいさつは返してくれませんでした。昨日言ったことが気分を害したのか、話しに夢中で忘れていたのか分かりませんが…。 放課後の職員室で話をするな! と言っているのではありません。ただ、もう少し小声で、職員室で仕事をしているほかの先生の耳障りにならないようにしてほしいのです。その大きさが地声なのかもしれませんが…。 自分中心で2人が話し始めると、校長先生はその声を聞きつけて、校長室から出てきて、楽しそうにおしゃべりを聞いておられます。はぁ〜?!
(ぎんなんおこわ)
4日間の県総体役員、屋久島旅行(シュノーケルが最高!)、泊まりがけの出張、ジャニーズのコンサート、またまた、泊まりがけの出張、最後はオペラ観劇。 慌ただしかったけれど、元気や暖かい心をもらった夏休みでした。貴重な体験を胸に、2学期からもがんばります。たまには思いきったリフレッシュも必要ですね。
「養護教諭」の仕事って
養護教諭になり、数年が経ちますが、まだ養護教諭の仕事とはいったい何なのかよく分からないでいます。以前、時間を持て余していることを他校の養護教諭に相談したところ、「それなら保健指導をどんどんやればいいじゃない」と」言われました。担任から要望があればいくらでもしますが、担任は忙しくてそれどころじゃないんですよね。だから保健室はいつも休み時間。実際、肩身の狭い思いをしています。 学校保健安全法では、保健指導が明文化されましたが、その時間の確保については決められていません。最後まできちんと書いてくれないと、担任の先生方へは何の影響力もなく、やりづらいのです。それに、小学生には、担任による保健指導で十分だと思います。目や歯の指導だって、養護教諭がわざわざしなくても、そもそもは家庭で教えることですよね。科学的なことではなくて、生活指導として。また、眼科医や歯科医を受診すれば、学校で教えるより、もっと詳しいことが聞けます。 では、学校全体の体制と先生の思いと、児童の思い、すべてを重ね合わせたら、養護教諭は何をするべきなのでしょうか?
(ユリウス)
何のために学校に来ているのだろう
決まり切ったことをするのは苦ではありませんが、行動意欲が乏しいため「もっとこうしたらいい」ということができません。「何かをしなければ」という焦りはあるものの、何もできていません。養護教諭の仕事にいらだちを覚えます。この職業にあわないのかもしれません。かといってやめる決心もつかず…。何のために学校に来ているのだろう…と、毎日のように思っています。
(ふじばかま)
インフルエンザの猛威の中で
昨年、インフルエンザが猛威をふるっていたとき、本校でも罹患者が多く、保健室は発熱した児童でいっぱいでした。休み時間に来る常連さんたちも入り口で「今日は入れる?」と確認をとって入室する始末。そんな中、子どもたちは私に「先生はだいじょうぶ?」「給食食べたの?」などと声をかけてくれます。 私が所属している6年生の部活のキャプテンに「最後の大会だから、みんな元気に参加するよ。インフルエンザにかかるなよ!」と言ったところ、「先生もね! オレたちと最後だから!」と言ってくれました。うれしかったです。私にとって彼らの言葉は、本当にあったかいです。
(ぽかぽか日だまり)
養護教諭の専門知識はどこまであればいいの?
養護教諭の専門知識は、どこまであればよいのでしょうか? 看護や別科で習ったもの以上の知識が必要と感じ、別県の教員採用試験問題を解いたりしていますが…。骨折ひとつにしても、部位ごとに、この部位にはこういう検査をして、結果がこうであったら、こう判断する…と細かいことを一つひとつ覚えるべきなのでしょうか?経験してみないと分からないことも多く、事前にすべてを覚えようとすることは無意味な気もします。
(ユッカ蘭)
私は、花を育てるのを楽しみにしています。庭には所狭しとたくさんの花が咲き乱れ、四季を楽しませてくれます。 その中でも、夏の月下美人は、たった一晩だけ、純白の花を開き、いい香りを漂わせてくれます。花が終わればみそ汁に、酢の物にとなります。冬のクンシ蘭も朱色の花を咲かせ、1ヶ月以上楽しませてくれます。 職場にいる間は神経を休める暇がありません。農家で育った私は、土いじりが大好きで、休みの天気の良い日は庭の土いじりで時間が経つのも忘れてしまいます。 苗を交換したり、花を通じての友だちもできました。休みの日は仕事と違った世界へ「チャンネル」を切り換えること。これがストレス発散の第一歩だと思います。
(森 貞香)
大きくなったかなあ
新任で採用された小学校での5年目。保健室が1年生の教室と隣接しているせいもあって、1年生との関わりも多かった。保健室に掲示してあるカレンダーには全校生徒の誕生日を記入していた。そのカレンダーの12月の所には保健室に来室した誰かが私の誕生日に「○○先生」と書いてくれてあった。たまたま私の誕生日に体重測定をした1年生。そして、たまたまそのカレンダーを見た担任の先生が1年生に「カレンダーを見て」と言うと子どもたちがカレンダーに目をやった。すると、まもなく誰が言い出したわけでも、指揮をしたわけでもないのに「ハッピーバースデー」の歌を歌い始めた。突然のことでびっくりするやら、うれしいやらで涙が止まらなかった…。 後で担任の先生と話をしていると「僕も歌を歌うとは思わなかったです(笑)」とおしゃっていたが、本当にうれしかった。翌年度末に異動して、あの子たちも今では6年生。きっと気持ちの優しい子に成長しているんだろうな、といつかの再会を楽しみにしている。
(まるさん)
「なんでせんせいになったの?」と子どもたちに聞かれるたびに「あのねえ」からはじまって、いまの私の原点となっている国語の先生の話をします。いろんな思いが残っている先生はたくさん記憶の中に生きていますが、こんな先生になってみたいと憧れた女性は、いくつになっても心の中で輝いています。 中学1年生のときに国語を担当してくれた先生は、小さい私よりさらに小柄で病弱そうな方でした。いつも大きなマスクをかけていましたが、腹の底からふり絞る声は、しっかり教室中に届いていました。 ちょうどいまの私くらいの年代でいらしたと思います(50代前後のように見えました)。教えることの楽しさや、授業に情熱をぶつけるのが伝わってきて、居眠りの生徒が一人もいない楽しい時間でした。 エネルギッシュな一女性とのしてのその姿勢は、いつしか将来の自分の目標となり、先生になりたいと思うようになりました。 2年生の途中から転校していったので、その後の先生のご様子は分かりませんが、きっと最後まで情熱を持ち続けていられたのだろうなと思います。 小学生には、なぜ先生になったのかという質問には単純に、「子どもが好きだから」(本当です)と答えていましたが、子どもが好きというより学校が好きなんだということに最近ふっと気づきました。しかも一番楽しかったあの中学1年の頃に重なってしまうのか、中学校が好きなんだと年々思えるようになってきてます。自分の青春を懐古するような切なさを彼ら彼女らに投影し、若さを懐かしみ、残りの人生を惜しむ気持ちからかなと、しみじみ思う今日この頃です。
(T・T)
パワーアップしたい!
保健室で「健」を読んでいます。小規模校3校目。どの学校も、何もないわけではないけれど、ほかの学校に比べるとのんびりしていると思います。地区や県の養護教諭研修会に行って、ほかの養教の話を聞くと、驚くほど勉強熱心な方も多く「このままでいいのかな、生徒たちにとっての養教は私しかいないのに」と、思うことがしばしば。笑顔で過ごすこと、生徒1人ひとりに声かけをすることを心がけていますが…。研修会に出かける機会をもって、いろいろな面でパワーアップしたいです。
(みにい)
幼稚園の養護教諭って…
4年前に幼稚園の養護教諭に再就職。仕事は問題児がいれば、その園児を担当すること。そのほかは先生たちのお手伝いです。私の居場所は部屋の片隅です。もちろん机はありません。保健室はたたみ3畳! 物置化しており、無いのと同じ…。職員会議のときはパイプイスです。ほかの先生たちが、私に言いたいことがあるときは私に直接言わず、園長と主任の耳に…。早い話告げ口です。学校に勤務しているときは絶対なかったことです。園長先生と主任は私には叱責を繰り返しますが、ほかの先生たちのミスには一切注意しません。1年前にほけんだよりの作成とむし歯、かぜ予防の指導をさせてもらうようになりましたが、病気・ケガの対応で主任が手や口出しをすることは当たり前。もう限界です。爆発をして辞めるのも時間の問題です…。
(みなしごハッチ)